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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2006.10.08
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カテゴリ:地球人スピリット

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく



「バカの壁」 
養老孟司 2003


 やっぱりこの本を読んでよかったな、というのが第一の感想。なぜよかったか、といえば、「第五章 無意識・身体・共同体」p87という文章にぶちあたったから。どのようによかったか、と言えば、このブログの3つのカテゴリに見事に対応していて、自分の直観に確信を持てたから。さて、それでは、これからどうしますか、ということだが、そこのことをすこし書いておこうと思う。

 基本的にバカという言葉を連発するセンスは好きでないが、著者が「壁」という言葉で表現しようとする意図は分かった。しかし、「『話せばわかる』なんて大うそ!」という腰巻キャッチコピーは許せない。よくよく見ると、「新潮新書創刊!」とある。なるほど、にわか新書評論家の私は気がつかなかったが、新潮新書というのは、最近2003年にできたブランドだったのだ。この本はそのブランドの第三冊目だった。

 インターネットの急進で出版界があえいでいた時代があった。ひょっとすると今もそれが続いているのだろうか。いずれにしても、そのような世の中の流れの中で、良書も新書本でだそう、という出版戦略になったのであろうか。新潮新書もベストセラーをだそうとして必死だ。そのような出版界の努力もあって、その結果、私たちはこのようにいろいろな本を新書で読めるという利益を得ているわけだが。

 そうしてみると、この腰巻コピーはやはり、編集者側のスキャンダリックな演出であろうと推測することにする。「見えない『壁』が見えてくると世の中が見えてくる」というコピーはまぁ、ゆるせる。しかし、「壁」が「壁」として見えてくるには、それなりの葛藤があるはずだ。「気が楽になる」というコピーはどうだろう。私はゆるせない。「壁」が見えてきただけで、楽にはならない。「壁」はこわされなくてはならない。壊すべき「壁」が見えた、から楽になった、という意味なら、まぁ許そうと思う。

 
「死の壁」を読んだだけでは、わからないことがたくさんあった。元本を読まなくては、著者の真意は伝わらないのである。で、この本を読んで、それに打ち続くシリーズをよむだろうか、と思うと、積極的にはそう思わない自分がいる。すでに東大の先生という職業を終えて、自由に物を語れるようになった立場と、はやくそうなりたいと思いつつも、そうならない自分の間には、まだまだ「壁」はある。

 「あべこべ現象」と密接に関係しているのが「無意識」「身体」「共同体」の問題です。「意識と無意識」は脳の中の問題、「身体と脳」は個体の問題、そして「共同体」は、社会の問題です。p87

よく考えてみれば、「私」という身体的存在があり、そこから外側に向かって社会がひろがっており、内側に意識の深みがある、というのは当然だったということになる。このブログが手さぐりで三つのカテゴリに帰結したのは、当然といえば当然だったのである。さて、このカテゴリについては、ほぼ確定したといっていいだろう。では、ここからどう深めていくか、どう進めていくか、ということであろう。

 順番はちょっと異なるが、まず「共同体」というものを考えてみよう。これは社会やコミュニティという言葉でもいいだろう。世界とか政治という分野もこの範囲に入ってくるものかも知れない。ここで必要なものは科学的な視点であり、このブログでは「ネット社会と未来」というカテゴリが対応する。

 漠然としたものだが、今、一番テーマとしての旬なものはネットワーク社会というものの可能性や危険性、そして未来はどのようになるかということである。ネットの落し穴などといういい方もあるが、このブログとしては、ネット社会の進化については、積極的に賛成という立場をとっていこうと思う。

 そこには日本論とか日本人論にみられるような、ナショナリズムを越えていこうという意志を込めておきたい。「ウェブ進化論」に示されたWeb2.0の世界は、まだまだ序章に過ぎない、ということをあらてめて認識しておかなくてはならない。

 「壁」がある、ということを認識するには、となりの家や部屋がある、ということに気づく必要がある。少なくとも、インターネット社会が発展したからこそ気づいた「壁」というものもあるだろう。「壁」があるから、もう進むのは止めようというのではなく、初めて気がついた「壁」はどのように取り壊されていくのかを、考えるのがインターネット時代の私たちのやるべきことだ。

 グローバルに考えて、ローカルに行動しよう、という言葉があるが、ローカルという言葉は、そこに自然と「壁」を生みやすい。ここは敢えて「グローバルに考えて、パーソナルに行動しよう」というところまで、進化させてみようではないか。社会を広げるなら地球大のグローバルまで。地域を考えるなら、ひとりひとりの個人まで退却してみようではないか。それに耐えうる「個人」でなければならない。

 ここで語られるべきことは科学全般やIT技術などの進歩であろうし、必要なのは社会科学的な目だろう。ここで象徴的な職業としては、プログラマーという分野を上げておきたい。科学者としての発想と想像力、そのようなものの象徴としておく。

 さて次ぎなるものは「意識/無意識」の分野を見よう。ここはこのブログでいえば、「地球人スピリット」が対応する。この分野でもいろいろ見てきたが、あえていうなら、ここでのタブーは、生まれ変わり、転生輪廻をどのようにとらえるか、ということだ。まず、現代の科学の常識ではこのタブーは打ち破れない。しかし、このブログでは、このタブーを打ち破ることにする。

 つまりは、生まれ変わり、転生輪廻はある、ということを前提としてこのブログを進めていこうと思う。ここでは生と死というものの間にある「壁」を打ち破ることにする。生と死を一体のものとみれば、人生も大きく変わるはずである。

 「チベットの死者の書」が指摘するような生死観があれば、人間全体の見方が変わる。ここでの象徴的な職業はカウンセラーを上げておこう。ここにおいては死者に引導を渡す精神的なグルをも含めたニュアンスとして、この立場をあげておきたい。

 みっつ目は「身体」つまり個体としての私であり、このブログでいえば芸術や「ブログ・ジャーナリズム」が対応するだろう。ここにおいては、まず表現間の「壁」を打ち破ることにする。画家であろうが、音楽家であろうが、舞踏家であろうが、あるいは農民として農作物を作る人であろうが、それらの行為・表現を一つのものとしてみようと思う。

 そしてこのカテゴリにおいてのタブーは「瞑想」というキーワードで打ち破る。すべては瞑想という世界に還元されるものとする。瞑想としての絵画、瞑想としての音楽、瞑想としての舞踏、瞑想としての農業、そのようにみていくことにする。そして、そこから表現されるものは、さまざまあれど、ここでの象徴的な職業はジャーナリスト、ということにしておく。

 だから、このブログのイメージは幾段いままでよりは前に進んだ。
1)グローバル社会に対応する創造的なプログラマー
2)マルチな表現を理解する瞑想的なジャーナリスト
3)転生輪廻を自らの体験として理解する精神的なカウンセラー
この三人の要素が、やがて一つになっていくようなそんな方向で、このブログはひとつひとつの「壁」をとりはらっていくことになるだろう。






Last updated  2009.03.30 08:22:54
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