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カテゴリ:マルチチュード
「マルチチュード」(下)
ネグリ=ハート 2005 私は前の記事で、このブログのイメージを象徴的職業に託してこう書いた。 だから、このブログのイメージは幾段いままでよりは前に進んだ。 1)グローバル社会に対応する創造的なプログラマー 2)マルチな表現を理解する瞑想的なジャーナリスト 3)転生輪廻を自らの体験として理解する精神的なカウンセラー この三人の要素が、やがて一つになっていくようなそんな方向で、このブログはひとつひとつの「壁」をとりはらっていくことになるだろう。 なんでもありありの盛り込み過ぎの概念だが、しかし、この三つの要素を一つの存在で引き受けることはできないことでもないはずだ。もしそれなら、その存在をなんと名付けようか、と考え始まっていたが、今日は新しい概念とであうことになった。 先日読んだ、諸富祥彦や的場昭弘の著書の中でちらちら散見されたのが、このマルチチュードだった。あるいは柄谷行人の著書にもでていたかもしれない。 今日、図書館にいって調べたところ「マルチチュード」<帝国>時代の戦争と民主主義 の下巻だけがあったので借りてきた。面白そうだったの紀伊國屋へ行って上巻を探そうとも思ったが、今日は連休で、道がごった返しになっていたので、あきらめた。 いずれにせよ、この本は新書本でもないし、いままでのように簡単に流し読みということもできそうにない。またあちこち調べながら、断片的に読書を進めなくてはならない予感がするので、このブログでのいままでの三つのカテゴリからははずして、一つのカテゴリとして、自分なりに理解できるまで、独立したものとして考えていく。 私が漠然と考えている地球人スピリットとマルチチュードは、どれだけの近似性を持ちうるだろうか。あるいは、先日読んだ海野弘「秘密結社の世界史」の中にでてくる、ブルワー=リットンの「来るべき種族」とどうかかわるだろうか、というところが、私の目下の関心ごとである。 いまのところ、まだ読んでいないが、マルチチュードには、「革命的主体」という期待がかけられているようである。その言葉の使いかたはともかくとして、このブログでは相当に新しい概念であり、また自らの立場としては、簡単には受け入れがたい言葉ではある。 逆に、私は「転生輪廻を自らの体験として理解する」という要素を地球人スピリットに含ませているのだが、マルチチュードは、この概念をうまく受け入れてくれるだろうか。 ネットで軽く検索すると、このマルチチュードを取り上げているブログも多くあるようだし、松岡正剛の千夜千冊ページにもなにごとかあるようだ。 秋の夜は深い。読書の似合うシーズンとなった。 2007/10/23再読 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.04 18:43:43
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