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カテゴリ:地球人スピリット
「トランスパーソナル心理学入門」 人生のメッセージを聴く 諸富祥彦 1999 地球人スピリットを求めて新書本をジャーナルするなら、このような本ははずすことはできない。なかなかの好著。かなり啓発されるところがある。まさに稀有な一冊とも言える。 少し難しそうと感じている方もいるかも知れません。けれど大丈夫。ご安心ください。本書では私はこの心理学を、限界まで平たく、わかりやすく説明します。もちろん、学問としての質は少しも落とすことなしにです。p18 と、いきなりきましたよ。かなりの自信だ。前半はトランスパーソナルについて、後半はセラピーの実際的なことで、私には前半が面白かった。あちこち抜書したいところはいっぱいあったが、ダブってもいるので、要点をとらえている部分をよむだけでも、なかなかまとまっていると思った。 トランスパーソナル心理学は、"個を越えたつながり”を志向する心理学。人種・性別・思想信条の違いなどを越えた人と人のつながり、過去の世代や将来の世代とのつながり、人間と生きとし生けるもの、大自然のつながり、といった水平次元でのつながり。そしてもう一方は、自己の深層無意識やそれを突き抜けた真実の自己とのつながり、人間と人間を越えたものとのつながり、といった垂直次元でのつながり。この両次元での”つながり”へと自分を開き、みずからを越えていくことを説く心理学である。p46 トランスパーソナル心理学は、"何でもあり””すべてはしょせん、個人の好き好き。だから、どう生きようと私の勝手”という現代の風潮やその背景にあるポストモダン(脱近代)的な相対主義に異義を唱えると共に、ポストモダン以降の生きる指針として、近代の物質主義・個人主義の限界を越えてゆく"トランスモダン(超近代)”な生き方・考え方のモデルと提示する心理学である。p50 トランスパーソナル心理学は、身体と心のみならず、魂やスピリチュアリティの次元まで含んだ、ほんとうの意味で全人的でホリスティックな人間存在を視野にいれた心理学である。p77 まぁ、ここまで心理学を強調されると、ちょっと辟易というところもあるが、その勢いは可とする。まずは心理学の説明なのだから、心理学を強調するのはあたりまえなのだが、真理は学問じゃぁないんだよね。科学的な学問ということでなんとか岸につながっている小船のようなものだが、いずれはその綱をはずして航海しなくてはならんのだよね。 今、アメリカでは、スピリチュアル・レボルーションという、うちなる革命が起こりつつあるといわれています。たとえば、ある若者は次のように語ります。「私は、スピリチュアリティーースピリチュアルな人間であることーーにはとても関心があります。けれど私は、宗教にはまったく関心がないのです。多分私は、スピリチュアルではあるけれど、しかし宗教的ではない、ということになるのでしょう」p82 なるほど、それで彼の近作を読んだ時に、まったく同じフレーズを思い出したのだったのだ。でも、もう一言いうと、スピリチャルだけど、アカデミック(頭でっかち)ではない、ということも付け加えておく必要があるだろうな。 ケン・ウィルバーは「アートマン・プロジェクト」などでは「チベットの死者の書」などを手がかりに論じているということだから、ここから、すこしづつ、チベットのほうにまた舵をとっていくことになるかな。 トランスパーソナル心理学というと、いつも吉福伸逸さんの顔が思い出されて、どうも好きになれなかった。好きになれなかった理由は、どうも、あの夏ミカンみたいな顔が苦手だった、というというしかない(笑)。 諸富さんは、吉福さんよりはハンサムだから、すこしは許せるかな(W)。 とにかく、この本で、私はいっぺんでトランスパーソナル心理学が好きになった。(いまころ?という声あり) で、最後に、著者は「この本で書かれたトランスパーソナル心理学は、かなりの程度、私の色に染まったトランスパーソナル心理学です。」p224と述懐している。そりゃそうだろう、そうなるしかない。まぁ、最初の勢いはどこかに行ってしまったかもね。この本の段階で、著者はもう日本トランスパーソナル学会の会長だ。 総じて思うことは、やっぱ、Oshoは偉大だな、ということ。この辺の地平をはるかに凌駕している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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