地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「宇宙考古学」 人工衛星で探る遺跡と古環境
坂田俊文 2002
宇宙そのものを考古学的に探求しようというのではなく、「宇宙からの考古学」である。つまり、地上から宇宙の果てや始まりを探求しようというのではなく、視点を宇宙において、地球をひとつのものと見て、時間的、空間的な考察をしようということである。
そういう試みは、例えばUFOに乗って地球を訪問する宇宙人達の真意を聴こう、ということや、意識を宇宙において、その意識からこの地球を俯瞰しようという哲学者達が、すでにやってきたことだろう。しかし、この本は、地球人達が宇宙に打ち上げた人工衛星が永続的に送りつづけてきている画像やデータから、実際には地球がどう見えているのか、という研究である。
そもそもの始まりは1972年に人工衛星ランドサットが打ち上げられて南米ペルーのナスカの地上絵を撮影したことだった。それが宇宙から見た最初の遺跡で、当時のセンサーの性能は80メートルのものを見る程度のことだったという。ところが次第に観察技術の性能はあがり、この本の書かれた2002年ころには、10メートルから1メートルのものまで判別できるようになったという。多分、現在では、公表されていないところも含めると、はるかに性能はすすんでいるはずだ。
そういう科学的で現代的な視点から、地上を見ると、いままで部分的に発掘調査で行われていた考古学をもう一度見直してみる必要がでてくる。「人工衛星から撮影したナイル川西岸」「シルクロードサテライトマップ」「スペースシャトルから撮影したアンデス山脈」「中東・中央アジア・インド亜大陸の地形」「ナスカの地上絵」「文明の始まりの地・メソポタミア」などなど、本書の口絵にカラー写真として乗っている地球の画像を見ているだけで、心洗われる気分となる。
先日読んだ松井孝典「宇宙人としての生き方」等の視点は、このようない科学技術が発展しているからこそ、説得力を持ち得るのだろう。最近では某国による核実験の兆候ありとのことで、大変な問題となっているが、このような視点から考えていった時に、人類としての新たな解決策がでてきて当然のように思えるのだが。
最近ではGoogle Earth のおかげで、私達は、かつてスペースシャトルに乗り込むか、天才的な思考力の哲学者たちしか得ることのできなかった宇宙からの視点というものを、極めて簡便に得ることができるようになった。より多くの人がこのような視点に立って、巨視的な俯瞰力を持ち得た場合、地上に生きる人類の意識になにごとかの変化が起き始めるのは当然のことだと思う。
坂田俊文氏はたんたんと、その人工衛星で探る遺跡と古環境について、ひとつひとつの実際的な調査結果を報告している。実際にこのような画像を撮ったのは、具体的にはアメリカの軍事戦略的な人工衛星ばかりではないだろう。現在まで打ち上げれた5500個以上という人工衛星からの膨大な情報を、坂田氏はどのような形で提供を受け、分析していたのだろうか、そのようなところが本書ではまったく触れられていないので、他書にあたるなどして、そのことを確認したいと思った。
ゴビ砂漠にチンギス・ハーンの墳墓を求めてp81あたりも面白い。そう言えば、元朝の始祖チンギス・ハーンが中国の青海省を遠征中、病を得てその生涯を閉じたのは1227年といわれている。700年前のチベットを考える時、このような広範囲での視点を確保しておくのも必要だった。このへんは今後のこのブログの課題である。
著者は宇宙からの画像やその他のデータから、エジプトナイル川の流域のピラミッド群についてのあらたな見解を得て、かの有名なエジプト考古学者・吉村作治氏との共同作業に発展するところもなかなか興味深い。テレビでのゴールデンタイムのクイズ番組にもつながってくるような好奇心につながってくる。
いずれにせよ、私たち地球人は、ガリレオ・ガリレイやコペルニクスが生きていた時代よりはるかに視点を広くもつことができるようになった。当時、社会的に常識とされていた知識や意識が、いまや、現代的に変化してきて当然なのである。そして、また、いままでの変化を考える時、今後、この地球に生きる私たちの意識がどんどん変化しつづける必要があることは、当然のことなのである。新しい地球時代のコモンセンスとして、この本に書かれたような視点はとても大事だと思う。