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カテゴリ:マルチチュード
![]() アントニオ・ネグリ マイケル・ハート 2003 原文2000 第一部 現在性の政治的構成 まずはともあれ、この本に目を通しておく必要はあるのだろう。これだけのまとまった本を読むというのはそうザラにはないし、また、読んだとしてもそう簡単に身につくものでもないだろう。ましてや、このブログの中で、この本を読みきるには、なかなか雰囲気もペースが違いすぎる。 しかしまぁ、頁をめくる程度には読んでおこうと思う。500頁を超える大作なので、4部構成になっているので、とりあえず1部づつ感想を書いておこう。第一部は現在性の政治構成、まず国連の話題から始まる。この本の原書は2000年に書かれているので、9.11以前の論文ということになる。 たとえば、マキアヴェッリが、新しい社会を下から構築するプロジェクトに必要なのは「武器」と「貨幣」であると提言し、それらを外部に求めなければならないと主張するのに対して、スピノザはこう応じるのである。すなわち、「私たちはすでにそれらを所持しているのではないか? 必要な武器は、マルチチュードの創造的かつ予言的な力のなかにまさに備わっているのではないか?」、と。私たちもまた、ポスト近代性の革命的欲望のなかにみずからを位置づけながら、こう応答することができるだろう。すなわち、「私たちはすでに「武器」と「貨幣」を所持しているのではないか? マキアヴェッリがその必要性を主張する類の貨幣は、じつをいうと、生政治的な生産および再生産の直接的な担い手であるマルチチュードの生産性のなかに備わっているのかもしれないのだ。同様に、ここで問われている類の武器は、ポストモダンの指令の寄生的秩序を自らの生産力でもって妨害し破壊する、マルチチュードの潜勢力のなかに含まれているかもしれない」、と。p96 さぁ、すべてがこの調子である。これを我が物として読み下すのは私にとっては至難の業だ。しかし、ここから少しわかるのは、ネグリ&ハートが、どうやらマキアヴェッリを一定程度評価しているらしいということ。そして、マルチチュードという言葉は、まずはスピノザが使い始めているらしい、という程度のことだ。 つづく
Last updated
2009.02.04 19:09:01
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