「企業再生とM&Aのすべて」
藤原総一郎 2005
思えば、M&Aという方法論以前には、空前の倒産という現実があった。20世紀末の日本にとって、失われた90年代の日々だったとすれば、あのバブルの酔いに踊っていた80年代後半の足元のふらついた好景気も、じつは仕組まれたものだったのではないだろうか。
70年代のオイルショックに始まる不景気をさらに下回るバブル崩壊後の日本の不景気、そしてその倒産劇を救う形で、M&Aという手法がもてはやされることになったのだった。しかし、自立がおぼつかなくなった企業の多くは、外国資本に買収されていったということも事実だ。
この15年ほどで、じつに多くの企業が姿を消して行った。名前を変えて存続している企業もあるが、栄枯盛衰の荒波は、企業ばかりではなく、文化やスポーツなどにもの大きな影響を与え続けている。この本を読んでいると、多く具体例が掲載されており、ああ、そうだった、こういうこともあったのだったと、ひとつひとつの具体例を思い出す。
ふと思い出したことに、9.11の時に倒産したふたつの日本の損害保険会社があった。世界貿易センタービルの火災保険を法外に安い保険料で請け負っていたがために、ビル一つが倒壊したおかげで、保険会社まで倒壊してしまったのだ。そもそも、「戦争」による損害は、保険金が下りない免責のはずだが、世界貿易センタービルには、世界金融のヘッドクオーターがあつまっていたおかげで、お手盛りで保険金を下ろしたと言われている。たしかにグレーなことは確かだ。
思えば95年の阪神淡路大震災の時も、地震免責を縦に、損害保険会社は火災保険による地震被害に対する保険金支払いを拒否したが、もし、あの時、甘い査定をしたら、最大規模のTM損保でさえ支払能力の2倍の支払いが必要だったというのだから、他の日本の損害保険会社も全滅しただろう。
企業経営リスクの増大のなかで、確かにM&Aという手法が、企業の再生に大いに役立っているのだと理解すれば、なるほどと合点がいかないわけでもない。しかし、何か腑におちないものが、どこかにひっかかっているのも事実だ。ドメステックな資本が、倒産や経営危機に落としこめられることによって、M&Aに活路を見出し、やがて外国ファンドマネーに買収され、しだいに、グローバル・スタンダードの名の下に、<帝国>の一元化に組み込まれていっている。そんな思いは幻想なのだろうか。