「北朝鮮に潜入せよ」
青木 理 2006
このタイトルからすると、日本のジャーナリズムが、北朝鮮の拉致問題を取材するために、秘密報道チームを送り込む話なのか、と思ってみたが、すぐに自分のおっちょこちょいさに気づき、恥ずかしくなった。テレビのバラエティ番組の見すぎなのか、私にはその程度の発想しかできなくなりつつあるのかもしれない。事態はもっともっと複雑で根深い。
朝鮮戦争により北緯38度線を境に定められた停戦ラインによって分断された朝鮮半島は、同じ民族による陰惨なスパイ合戦やゲリラ潜入が、その後も永遠と続いていたのである。北朝鮮から韓国や日本への潜入はそれなりに推測ができたし、報道もされてきた。しかしながら、韓国から北朝鮮側へのそれは、ほとんど報道されることもなく、関心を集めることもなかった。
しかしながら、近年の「シルミド」という韓国映画や、金大中→盧武鉉政権の「太陽政策」のもとで、しだいに明らかになってきたのが、北派工作員という韓国側から軍事境界線を越えて北朝鮮側へのゲリラの存在である。
この本の中で告発されているのは、韓国の北朝鮮への侵犯という問題ではない。韓国がみずから仕立てた「北派工作員」という韓国国民(一部北朝鮮からの移動者)の存在を50年以上の間、認めなかったばかりか、ほとんど見殺しにし、わずかに生き残った帰還者たちに十分な補償をしなかったことである。その後も継続的に徹底的に監視をし、困窮においやってきたという。
北側への派遣兵の意味であろう北派工作員という名前は、正式な名前ではないだろう。なぜなら、韓国政府はその存在を認めなかったばかりか、歴史の中に抹殺しようとしてきたからである。しかし、事実は異なる。5000名を越すという歴代の北派工作員たちの生き残りはごくわずかであるが、いまだにその工作員達は養成されつづけているのではないか、と言われている。
徴兵年齢の貧しい青年達に街角で声をかけ、法外な報酬、兵役の免除、年金支給、除隊後の昇進、など、ほとんどありもしないことを餌に集め、北朝鮮に潜入させてほぼ全滅させてきた。わずかに生き残った帰還兵たちは、その任務を離れたあとも社会復帰することが難しく、自殺で果てた者達も多かったという。さらに生き延びようとしたものたちは、国家の重要機密を知るものとして、なんらの補償のないまま、長く監視下に置かれてきたという。
この本を読み続けることは、通常の私の神経ではできない。朝鮮半島のことをすこしは考えなくては、と重い腰を上げたいまだからこそ、このようなレポートも、微妙なバランスで読むことができる程度だ。しかし、これは事実であろうし、このような事実をレポートするジャーナリズムの力を私は善しとする。
このような事実は、掘り起こせば幾万とあるにちがいない。闇から闇へと葬られてきた事実が多く存在しているだろうことを考える時、誰がどうしたというひとつひとつの事実はともかくとして、人類というものの歩んできた歴史の中の深い陰影を感じざるを得ない。それはひとり、隣国の住民とはいえ、私にとってもまったく無関係なこととは言えない。
青空に包まれた国立墓地で、(中略)墓前の芝生に座って取材に応じてくれた(中略)のこんな言葉印象的だった。
「自分がいる組織の中では完全に正しいことでも、人間としてみれば正しいとは限らないことがたくさんある。国と国でも、南と北でも一緒だ。(中略)も国の命令でやったこと。悲しみは一生消えないが、不幸を繰り返さぬためにも容赦し、対話していくしかない」p162
韓国で多くの元北派工作員にインタビューするうち、彼らからしばしばこんな台詞を耳にした。
「北では南派工作員は『英雄』として扱われ、最上級の待遇を受けている。それに比べ、国のために命をかけた北派工作員に対する韓国政府の対応は酷過ぎる」p188
ああ、このような言辞がつづくと、とても悲しくなる。またまた以前に書いた加川良の「教訓1」を思い出してしまう。小泉前首相や右派政治家達が、お国のために戦った英霊たちに報いるためと称し「靖国参拝」をつづけている。なにをもって善とし、なにをもって否とするか、にわかには判断がつかなくなってくる。著者は、あとがきになって、こう述べる。
そんな韓国が今、北朝鮮との対話路線に舵を切っている。もちろん韓国内に一部異論もあるし、過剰な民族主義には辟易するが、果て無き憎悪と対立の連鎖反応を断ち切って、対話による軟着陸を模索しようとする姿勢には頭が下がる。いや正確に言えば、カタストロフを避けるにはそれしか道はないのだ。p238
私も北風政策よりは太陽政策に賛成だ。圧力よりは対話が重要だと思う。しかし、いまや核弾頭をかかえた孤独で頑なな旅人の心の中に、太陽の暖かさは染みていくことができるのだろうか。先に読んだ「私は韓国を変える」p222にこうあった。
「最近では北もIT産業に積極的に取り組み始めている。北でもインターネットの導入は時間の問題と言われる。北が情報化社会の流れに遅れないようにするためには、改革・開放は必要不可欠である。産業化時代を超えて情報化社会迎えた今日、新しい南北関係を切り開かなければならない。こうした認識に立つ時、情報化時代の東北アジアと南北関係の進展によって広がる空間も飛躍的に拡大する。そして、この空間は未来の主役である若者世代が率いていくだろう。」 盧武鉉 2002・10
対話とは、なにも国家代表による6カ国協議に限らない。ネットを通じて、私(たち)も北朝鮮の「マルチチュード」たちとつながることができるなら、それこそ地球人スピリット探索への道の王道であることに違いない。そのような時代が、近いうちにやってくることを望みたい。