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カテゴリ:地球人スピリット
「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」 玉川信明 2002 ちょっと長めの文章を書いたのだが、どういうわけかパソコンが急に電源オフになって、全文が消えてしまった。同じことを書くことはもうできないので、今日は簡単に書いておく。 この本、ちょっと変な本なので、気になっていたが、今回ようやく図書館から借りてきて読んだ。この人にはこのシリーズがこのほか3冊あるので、そちらも読んでみないと最終的な評価はできないが、この一冊を読む限り、やはり変だと思う。 この著者がどのような人か知らないが、自分の名前でこの本を出しているものの、自分の文章は一字もない。すべてOshoの日本語訳からの抜粋だ。前文も後書きも、まったく他人の文。こういう本もめったにない。 この方75歳で昨年2005年7月になくなったということなので、もうこれ以上このシリーズはでないだろう。そのことだけはほっとした。アナキストであり、革マルの黒田寛一元議長の「心友」だ、などと書かれてたりしている。 Osho以外についての本のほうが有名な人らしいが、晩年にOshoに出会うことによって、この方の人生になにごとかのことがあったのなら、同慶にたえない。しかし、このような「Oshoガイドブック」って、必要なのかな? もっとも、抜粋しているだけなので、ガイドにもなっていないが。 私にはなんだか、単なるパクリ本のようにも思うのだが、あるいは玉川さんのOshoに対するオマージュだったか。やはり変な本だ。 <2>につづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
この一連の玉川本は、OSHOのことばだけじゃなくて、ぼくがあとがきなどに書いた文章などもそのままそくり何のことわりも、但し書きもなく、無断で使われているから、まったくとんでもない本だと思う。ひとの思考と自分の思考とがまぜこぜになって何がなんだかわからなくなってしまっているような不快感を感じるだけです。
(2010.02.26 12:15:26)
☆monju
本の作成に関わった人なら、まったくそう思うのは当然のことでしょうね。私も長いこと、書店でこの本に触ることさえできなかった。 で、あるとき、ふと考え方を変えたわけです。 正直言うと、私はヒュー・ミルンなども読んでいて、英語はあまり読めないのに、英語版のほうを先に読んでいたりします。 だから、批判本の類のひとつとして、まず、この玉川本を読んでみようと思ったところがあります。 なんとか彼の立場のことを理解しようとしたのですが、結果はどうなるでしょう。 一応、玉川さんはPルバなどには了承(かな?)をとっているらしく、すくなくとも二人はフィジカルにあっていますね。 (2010.02.26 13:43:25) |
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