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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2006.11.16
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地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく



 

「禅と戦争」 禅仏教は戦争に協力したか 
ブラィアン・アンドルー・ヴィクトリア著 エィミー・ルィーズ・ツジモト訳 2001 原著1997



 友人Cダ氏の書評にあった一冊。地元の図書館になく、他の図書館から借りてもらった。この本、日本語版は2001年に
光人社という出版社からでているが、いったいこの本がどのくらい出版されて、一般にどのような読まれ方をしたのかは、にわかには判断がつかない。しかしこの光人社の出版リストから考えると、このような出版社からでることになった経緯も知っておきたいものだと思った。

 この本、
原著ではペーパーバック本なのに、日本語訳になるときはハードカバーになっている。いずれにせよ、「禅仏教は戦争に協力したか」というセンセーショナルな主テーマだけに、物議をかもし出さないでいるわけはなく、しかも、立場によっては、とても直視できない内容となっている可能性もある。

 本書の出版に際し、一人の年老いた中国人僧からは、どうかこの本を発行しないでくれといわれ、心が動くこともあった。彼いわく、「もしこの本が世にでるなら、仏法をけなすことになりかねない」と訴える。かつて日本の侵略の犠牲者であるはずの老僧であるだけに、彼の思いはいっそう私の心に響いた。もしや私自身、この人のいうように、仏法を誹謗していることになるのかと自問自答をくり返した。p281

 当然、内容のいかんによっては、このような感想や意見があって当然だろうし、読まれ方によっては、まさにそのとおりになるかもしれない。著者は1961年、アメリカにおける良心的徴兵忌避者として、日米親善のキリスト教宣教師として来日した。そのあとキリスト教の「聖戦」思想に疑問を感じ、仏教の非戦思想に心ひかれて禅の道へと進んだという。

 曹洞宗の僧となった著者は1970年の春に、上司にあたる僧から「あなたは曹洞宗の僧、さらに駒沢大学で仏教学を専攻する大学院生でありながら、日本でのベトナム反戦運動に加わるとはなにごとか」と叱咤された、ということである。p11

 私には、この辺の事情や時代背景については、よくわかる感じがする。私もこの時16歳の高校二年生だったが、やはり同じようにこの春にこの運動に加わっている。この頃、地学の教師は、一週間に一度の授業をそっちのけで、「全共闘とは全狂頭だ!」と教壇の上で板書までして、激怒していたことを思い出す。私には、日本の仏教など、右翼反動のなにものでもない、という勝手な思い込みがあったが、ゆえに、逆になんの期待もしていなかったのではなかっただろうか。

 70年前後の団塊の世代を中心とした、いわゆる学生運動が下火になった頃、心の時代とやらがやってきて、私はにわかに宗教や仏教というものを見直すようになった。20歳前後の時には、この本にもでてくる曹洞宗名刹に参禅するようにになり、その思想にも関心をいだくようになった。

 機縁、法縁とは不思議なもので、私はそのまま仏教への道を進むことなく、やがて「存在の詩」に触れて、インドへと旅立ちOshoの門に入った。そこに一年間滞在したあと、帰国した私をまっていたものはさまざまあれど、そのうちの一人は曹洞宗の僧侶だったから、不思議なものだ。

 私は、かつて参禅していた禅寺を再び訪れてみた。その時、それほど歴史的なものを学んでいたわけではなかったが、その境内にはいったとたんに、私は「血のにおい」を感じたのである。その時、私には、戦国時代ゆかりのこのお寺に残る、その戦国の侍達の血のにおいであろうか、と感じていた。

 この本を読んであらためて感じるのは、戦国時代どころか、20世紀に行われた戦争の血のにおいがしたのではなかっただろうか、ということだった。禅仏教がいかに戦争に「協力」していったかが、著名な僧侶達の残した文献から、その経緯が詳しく述べられている。

 この本の前半部分においては、僧侶でありながら、いや仏教を護持する僧侶であるからこそ戦争に反対し、「非協力」立場を貫いただけではなく、明らかに反戦を唱え、高々と宣言したがゆえに処罰され獄死していった僧侶達も多くいたということにも触れている。

 この本は貴重であると思いつつも、ちょっと残念だと思うことは、私の感じるところ、仏教に一身をささげた人たちの中には、ブッタと同化することによって、自らの名を残すことをしなかった人々も多くいたに違いないということである。いや、むしろその人々のほうが圧倒的に多かっただろうと思う。その辺の配慮が本書にはちょっとかけているのではないだろうか、と思う。

 禅仏教と言われるところの、名前が残っている人々の、印刷物として残っている文献から、「禅仏教は戦争に協力したか」と問うている。この手の本は、学術書なのか研究書なのか、わからないが、その方法論とは裏腹に、明確に戦争に協力しなかった人々は多くいる、という点をどこかで見失っている。「声なき声」を見落としているような感じがするのである。

 私の生家の菩提寺は、もと曹洞宗の寺院であったが、檀家の合意のもと、戦後、曹洞宗から離れ、単立寺院となっている。その経緯、その可否はともかくとして、この度の戦争責任というものを考えた結果であったようである。現在の日本の仏教界がどのようなものであるか知らないが、私はインドに生まれたブッタの教えが2500年のサイクルで再びインドにもどり、再び次のサイクルがスタートしているという考え方に共鳴しているものである。戦争はあらゆる原因からおこるのであり、こと宗教、特に禅のみを取り上げて、論ずることは、私にはちょっと片手落ちのような感じがする。






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Last updated  2009.03.29 13:11:17
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