地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」 トランスパーソナル心理学との相対関係 玉川信明 社会評論社 2001
Pルバが時間を取ってくれたので、ゆっくり二人だけで話すことができた。やはりネットやメディアを介したコミュニケーションとは違うダイレクトな親密感が湧いてくるものだなぁ、と忙しいところ会ってくれたことに感謝。話題にでたこともあって、その足で、ビレッジヴァンガードに行って、この本を買ってきた。この本は玉川さんのシリーズ4冊の第一番目になる本だ。
このシリーズの本には、前から関心をもってはいたが、なかなか素直にこの本を手にとって読んでみる気になれなかった。なぜだろうか。ひとつには、そんな簡単にまとめることができないだろう、というシニカルな批判的な心情。そのうらには、聞いたこともない著者の、聞いたこともないような切り口ということがあった。また、引用のしかたとか、どこまでが原文でどこまでが引用者の独創なのかの境界がよく見えない、ということもあった。
前回読んだ「和尚(ラジニーシ)、禅を語る」は偶然図書館にあったから借りてきたのだが、やはり、ほとんどが原文の引用であり、その本のできた経過がぜんぜん見えないぞ、と私は不満だった。このような本の作り方をしていいのだろうか、と半ば私憤さえ感じた。しかし、それは、いつの間にかできてしまっていた弊害、私はOshoのことについては、いくらかは知っているという幾ばくかのプライドでもあり、傲慢さでもあった。知らず知らずに自らが作った城壁の中で憤死していたりするのである。
このブログを書き始めて、いつかはこのシリーズを読もうと思っていたが、率直に言って、とても面白かった。私のブログの推薦本にしてもいいと思う。というのも、いろいろ図書館に通って新書本をあさっているうちに、やはり一番気になっていたのはトランスパーソナルな流れであった。この時代においては一番の妥当性のある視点であり、また社会の認知度もだんだん上昇して一定程度の理解者を確保しているように思える。しかし、そこでもOshoがなかなか取り上げられない、ということに不満があったことも事実だ。
一つには「ヴィギャン・バイラブ・タントラ」の訳者田中ぱるばさんと話していて、「和尚の本はもう翻訳されているもので、エッセンスは出てますよ」という言葉に励まされて、少々無理は承知でのんのんとやってきた。しかもまだまえがきも書いていない今にして、いよいよ脱稿でできそうな雰囲気である。プーナに行かなければと思念しつつも、原稿の方が先にすすんでしまったというのが現状である。p273
Pルバとお茶した直後に読む文章であってみれば、どこかリアリティがあるやり取りだ。しかし、まぁPルバの言葉は正解でもあり、舌足らずでもあるだろう。和尚の本のエッセンスというのは、一冊で十分だろうし、また数百冊読破してもまだ足らない、ということも言える。たとえば、最近はヒィンディー語からの訳出も相当すすんでいるが、例えば月に一冊だされていたダルシャン日記などはほとんど訳されていない。
あとがきを書き終えてからのまえがきであるが、言いたいことのただ一点は、この書は私個人の人生上の問題はあれ、これだけのガッツのある天才的宗教家を世に紹介したいという思いばかりのものである。あとがきにも触れたように、これだけの神秘的で偉大な人物を日本の知識人たちはまったくと言っていいほど、無視し、マスコミにも取り上げられないというのは、知識人の怠慢というより悲劇である。p8
このあたりの心情は私の今の心情に相当ちかい。いや、まったく無視されてきたわけでもなく、日本の主だった知識人達はほとんどOshoを認識していることは間違いない。マスコミにも相当数すでに取り上げられてきた。しかし、その量や質については、まだまだ少なく、今後さらに研究され、活用されてしかるべきだと思う。
その意味では、英訳は愚か、瞑想にも大して打ち込んでいないのにと、関係者の間からは不快感が聞かれそうな案配であるが、何しろ以上述べたようにこの書は半ばひとりでに出産できた本なので、その辺はご了解願いたいと思う。p273
ここを読んで、私は赤面した。「関係者」のひとりとして「不快感」を感じていたのは確かだ。で、この本自体が本当に「世界初の和尚ガイドブック」として過不足のないものができているかどうかはともかくとして、ちょっとは「関係者」の面をしている「私」とはいったい誰か?という疑問を持たざるを得なかった。むしろ、私が関係者面して、new-comerに何事か「不快感」を示そうとするなら、それはいったい何か?と自問自答のサイクルに入らざるを得なかった。
この本を一冊読んで、私にはとても素晴らしい一冊だと思うようになった。とくにトランスパーソナル心理学との相対関係を読み解いた視点はまったく正しいと思うし、誰かにやってもらいたかったことだった。誰かがやらなければならなかった。そういった意味で、私は玉川信明という人物像をまったく知らなかった(いまでも)が、私にとっては、出色の出来だと思うようになった。ぎゃくに、この本を通じて、Oshoを知っているひとにとっては、トランスパーソナル心理学を俯瞰するにもよい本になっているようだ。
このシリーズには、4冊あり、まだ残り2冊を読んでいないので、まずは全部読んでみたい。そして、著者のほかの著作にも触れながら、何度か読み直してみたい本の一冊である。著者は昨年2005年に7月に亡くなられたようだ。冥福をお祈りいたします。合掌
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