地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「ブログがジャーナリズムを変える」
湯川鶴章 2006/7 NTT出版 単行本 285p
★★★★☆
少し暗いなこの本。著者の性格によるものかもしれない。
わたし自身、日本での大学の入試に失敗し、30代半ばまで米国でアルバイト生活を続けていた人間だ。エスタブリッシュメント、エリートと呼ばれる層とは程遠い。p226
1958年生まれだから、現在48歳。ということは、時事通信社米国法人に入社して、現在、編集委員といっても、やはり、なにか達成しがたい思いがあり、そのエネルギーがブログ、あるいは、新しいメディアの出現に期待感をもつのだろう。著者は「ネットは新聞を殺すのかblog」を書いている。
当然のことながらブログ開始後間もないころのアクセス数は、一日数十人程度だった。(中略)半年ほどたってからだろうか。アクセスも増え始めた。一日に数千人から一万人近くのアクセスがある日もあった。このころから、新しい形のジャーナリズムに関する情報がコメント欄やトラックバックで次々と寄せられるようになった。直接メールで情報を寄せてくださる方もいた。p252
著者には共著として「ブログ・ジャーナリズム」がある。この本は、この私のブログの「ブログ・ジャーナリズム」カテゴリの名前の語源にもなっている。この前著へ書いた私の記事を見ると、SNSについて書いていない、とあるが、新刊であるこちらには、盛んにSNSについて書いてある。
そして融合メディアの近未来は、SNSの進化したものになる。つまり「家族の中の父親としての自分」「夫としての自分」「学生時代の友達の間での自分」「会社員としての自分」「社会の中の自分」といった異なる自分を演じることのできる仕組みである。ブログのエントリーごとに公開する相手を細かく設定できる仕組みだ。公開する相手が家族なのか、友人なのか、会社の同僚なのかで、ブログのエントリーの内容を変え、それによって異なる「自分」を演じるわけだ。p72
私も複数SNSでキャラクターの使い分けが必要だなぁ、と思うことがある。確かに今はブログ機能の変種としてSNSがもっとも最近の形態だが、今後、さらになんらかの新しい機能がでてくるだろうと思う。
マスメディア並みの影響力を持つようになったブロガーや市民記者サイトなどの振興メディアと、テレビや新聞、ラジオなどに代表される既存メディア。あえてこのような分け方をした場合、今後どちらが優勢になるのだろう。
両者の力関係の推移を占ううえで、IT関係の人やITに詳しい人には、オープンソースに例えるのがわかりやすいかもしれない。事実、参加型ジャーナリズムをオープンソース・ジャーナリズムと呼ぶ人もいる。p167
この本では、リナックスを代表的なオープンソースとして紹介しているが、厳密に言えば、狭義的には、オープンソースとフリーソフトウェアは違う。なにもここでGNUやGPLを持ち出す気はないが、広義としてブログをオープンソース・ジャーナリズムと呼ぶことはやぶさかではない。参加型ジャーナリズムという考え方には賛成である。パブリック・ジャーナリズムとかシビック・ジャーナリズムとか言われたりしているが、オープンソースそのものでも、内部に入っていけばさまざまな障害があるように、このブログの世界も具体的な問題は実は山積みだ。
まぁしかし、この本、ちょっと暗いな、と一番最初に口走ってしまったが、著者の誠実さが良く伝わってくる。そして良くありがちな大風呂敷をひろげていないところに好感を持つ。「ブログがジャーナリズムを変える」というタイトルではあるが、著者の本意は、個人の情報発信がジャーナリズムを変える、というところにあるという。特に異論はないが、私なら、ブログが世界を変える、というニュアンスのほうが、いまのところはわかりやすい。
ブログはすでにジャーナリズムの一形態と成り得ているし、そして視野はジャーナリズムだけに開かれているわけではない。ウェブに参加する形態がブログだとしても、その効果は、もっと社会全般や人間の意識に拡がっていくことを期待したい。