地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「アガルタ----虹の都---- 」 ロバート・E・ディクホフ著 関口野薔薇監修 石川匡祐訳 十菱麟あとがき 1961/11 密教科学社 原書 1951
探せばあるものである。稀少本と言っていいだろう。あるところにはキチンと蔵書されているのである。日本のマンガ家達のタネ本はこの本であろう。日本では、これ以上、古いアガルタ本はどのような形であるのだろうか。とりあえず、ここまではさかのぼったということになる。
関口野薔薇がこの本を読んだのは1951年頃、ディクホフが関口に日本語翻訳刊行を許可したのが1956年。なんとも、時間をかけながら本が作られていったことがわかる。こちらが原書。
さて、この本は、のちのちまでタネ本になるだろうから、とりあえず、目についたところだけ、抜書きしておこうかな。
至宝マンダラ三重の宝石において祝福を送ります。
サンガ(僧)・ブッタ(仏)・ダルマ(法)
スングマ・テンチン・ラマ・ディカパ ディクホフ 巻頭
三宝帰依文は珍しくないが、僧が一番最初にきているのは、私は初めてみた。Oshoは仏僧法だった。日本では、ブッポウソウ、つまり仏法僧の順番だ。ただ、これは、三位一体なので、どこから言ってもよいということになると思う。
われわれがここからトンネルを通って、仏教世界の聖地とされるアガルタへゆくには、さらにもと進んでいかねばならない。それは中国のサンポー渓谷に位置している。 p70
なるほど、アガルタはサンポー渓谷にあるのか、とGoogleで検索してみるが、でてこない。渓谷をとるとサンポー、つまり三宝のことではないか。つまり、位置は不明ということになるのか・・?
アメリカ・インディアンのスー族、アパッチ族にとってはこれらのトンネルは真実の存在であって、彼らは1533年にペルーがスペイン人征服者ピザロに征服されたとき、むかし、トパク・アマル王が四万人の生き残りの部下を連れてインカ帝国から脱出したのと同じ方法でペルーを逃れたのである。 p88
いきなりこんなところを引用したら、ますます混乱がひどくなるかもしれないが、とにかく、アガルタという概念は地球全体に関わっており、このアメリカ・インディアンたちの存在もかなり大きな影響力があるらしい、と、そういうことをここで気がついておくだけでいいだろう。
(前略)そこにマイトレーやの下生を彼が予期しているシャンバラに関連して言及しているばかりでなく、数マイルも地球内部に掘り下げられた竪坑があって、それを通って地底都市アガルタに到達することが可能であり、世界の仏教徒の霊的交通の媒体をなすシャンバラは、満月時に祭典を行ない正しい瞑想を行なうことになり、聖ブッタ・ゴータマ・シッダルタを讃仰する目的の下に創始されたものである(後略) p92
ここではシャンバラがでてくるだけではなく、アガルタとの位置関係にも及んでいる。
アガルタと「虹の都」はともに共通した点を有している。 p109
ここでは、アガルタと「虹の都」は別物であることがわかる。その他、シャングリラ、レムリア、アトランティス、金星、火星など、おびただしい単語がでてくる。この本は注意深くデリケートに扱う必要がある。
「外部に避難所を求めてはならない。汝、みずからが光輝を発せよ。何人といえども、他人の救世主とはなりえない。汝の救世主は汝自身である」p160
というゴータマ・ブッタの言葉も紹介している。
「ダルマ・ブッタ・サンガ」すなわち真理と悟りと同胞愛精神という三種の宝珠を祝福の人々の上にのべており、マイトレヤの霊的軍旗の下に進軍を開始し、仏教の霊的最前線の勝利のために「オム・マニ・パドメ・フム」(千の花弁を拡げた蓮の花の中に、宝珠を崇めたたえよ)を高唱しよう。p164
ここでは、法仏僧の順番だ。別にこだわるつもりはないが、注意深くみておく必要がある。真理と悟りと同胞愛精神、とひとことで語ることは可能であるが、それをキチンと我が物に理解することは容易ではない。
このディクホフの「アガルタ」は、にわかに理解するにはちょっと無理な部分がある。ゆっくり足を進めていく必要を感じる。
オム・マニ・パドメ・フム