地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「ジャイナ教入門」
渡辺研二 2006/8 現代図書
ゴータマ・ブッタが生存した時代にはブッタのほかに六師外道と称された、他の流れの6人の宗教的指導者が存在していた。その一人がマハビィーラであり、その流れがジャイナ教と呼ばれている。つまり、当時7人の聖者にインド社会が導かれていたということになる。
(1)プーラナ・カッサパ(道徳否定論)
(2)バクダ・カッチャーヤナ(七要素集合説、唯物論)
(3)マッカリ・ゴーサラ(運命決定論、無因無縁論)
(4)アジタ・ケーサカムパリン(唯物論、快楽主義)
(5)サンジャヤ・ベーラッティブッタ(懐疑論、不可知論)
(6)ニガンダ・ナータプッタ(マハーヴィーラのジャイナ教、霊魂論と苦行主義)
ゴータマ・ブッタの高名な弟子とされるサーリップッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)は、最初、懐疑論サンジャヤの弟子であったらしい。舎利弗とは、般若心経の中にある舎利子のことである。
このようなジャイナ教の不殺生の教えを最初に評価した日本人は南方熊楠であった。南方はいう。「仏教よりも、キリスト教よりも、まさっているのは、ジャイナ教である。『すなわち、思考、言語、行為を善にして、語ることなき動物のみか、植物にまで信切(ママ)にするなり。この動植物を哀れむことは、仏教またこれをいうといえども、ジャイナ教は一層これを弘めたり。すなわち動植物みな霊魂ありと見て、病獣のために医療を立つるを慈善業とす。・・・階級の差をもって得道を防ぐことなく、誰人にでも涅槃に入り得ると主張す。』
キリスト教は人類の平等を説くが、ジャイナ教はその上に生類の無差別を主張し実践する点でよりすぐれているのだと南方は評価した」p183 鶴見和子著よりの引用部分
ジャイナ教は、Oshoの出自であるコミュニティでもあるし、仏教との兄弟宗教とも見られている。西欧においてジャイナ教が研究され始まった時には、ジャイナ教は、仏教の一分派と見られていたというほど、教義に類似性がある。ただ、仏教は世界宗教として拡大しつつインドから姿を消してしまったのに対し、ジャイナはインド国内の社会勢力としてはおよそ320万人ほどで、全インド人口の0.5%に満たない少数とされている。
ジャイナについては、インターネットの発達した現在ならともかく、それ以前は、図書館にいって、複数の百科辞書を比較しながら読む、という程度の資料しかなかった。それだけ、知られていなかった宗教と言える。この宗教に関心をもった著者の視点が興味深い。
個人的なことになるが私自身は学生運動の盛んな1970年代に学生生活を過ごした。既製の常識、思想が信じられなくなり、現実の実利から離れて人間の大本であり東洋の思想の原点であるインドの思想を学んでみようと志して、出発したインド古代思想の研究は最終的にジャイナ教研究に行き着いた。時代に動かされない、物事の基礎を見極めてみよう、としたのである。そこからベルギー留学を経て今ではおよそ30年が経った。本書はその現在における私自身の研究の到達点である。p2
1950年生まれの著者が1970年代後半インドにいたことになるが、「時代に動かされない、物事の基礎を見極めてみよう」というところが、著者がジャイナに行き着いた機縁だったのだろうと思われる。同時代に一人のヒッピーとしてインドを旅していた私としては、このようにアカデミズムの中で静かに文献を研究していた著者に距離感を感じつつ、一つの静かな確たる視点の存在を感じる。
日本においては仏教の研究はおびただしいものがあり、なにがなんだか分からなくなると、原点に帰ろうとしてインドに立ち返ることになる。その時、インドにおける仏教のあり方をより際立たせるために、ジャイナ教研究はとても貴重なものだと思われる。ただし、ジャイナにはローカル性を離れ、グローバルな世界的宗教性に発展する可能性はないので、なぜ、そうなのか、というところも押さえておく必要があるだろう。