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カテゴリ:ブッダ達の心理学1.0
「私を変えた<聖なる体験>」 安藤治 春秋社 1995/9 「瞑想の精神医学」(私が読んだのは<新装版>であったが、原書は1993年にでていたのである)の2年後にかかれた本。1995年という年は、阪神淡路大震災とウインドウズ95発売、そしてオウム真理教・地下鉄サリン事件という3つの大事件が勃発した年としてのちのちまで記憶される年となるだろう。 この本は1995年7月にでているが、本の執筆中にまさにオウム事件が起きている。ヨガや瞑想、精神世界、ニューエイジ、トランスパーソナルと言った、いわゆる当時の流行の華やかしかるべきものが、一気に批判されはじまった時代であるとも言える。 精神科医の著者が、本の読者として出会った人々のストーリーを、すべて実話であるがゆえに、プライバシーに関わるところは削除して、本人であることはわからないように細心の注意を払って記述したとこのことである。 ここにでてくる11人のストーリーはそれぞれに興味深いが、ふと考えると、どこまでが事実でどこからフィクションが混じっているか、わからないではないか、とちょっと不信感を持ちながら後半を読んだ。しかしながら、あとがきまで読んでみて「異文化のショックと『生かされている』実感」p065に登場するPさんは、著者の安藤治本人その方のストーリーであるとのことである。それを知って、私はあらためて著者に対する信頼感が高まった。 「聖なる体験」については、ここではとやかく言うまい。彼にもあり、誰にもあり、私にもある。それは、まるでお互いのゆうべの夢の話を語り合うに似ていて、受け取り方によって、その意味の重みが極端に違うことになる。ただ、この時代背景の中で、このような時代にオウム事件が起きたのだったことを忘れることはできない。 私の手元には、もう一冊「さよなら、サイレントネイビー」 という本がある。あの忌まわしい事件から10年経って、地下鉄サリン事件で地裁・高裁で死刑判決を受けた豊田亨の当時の友人が、その豊田の行動を追うというノンフィクションである。 私にはこの書にとても関心があるが、それを紐解くのが怖い感じがする。たぶん、この本をよむことによって、ほとんど私の中では封印してきたこの事件についてのネガティブな記憶が一気にぶり返してくる可能性があるからだ。「オウムと全共闘」を読んだ時もかんじたことだが、いくら封印したとしても、いずれはこの封印は説かれなくてはならない。いまはその時なのかもしれない、と観念しはじめている。 ちょっと脱線してしまったが、私は安藤治の仕事について、結果的には順番にその著作を読んでいることになる。諸富祥彦と比肩するかのような活動をしていると思われる彼の活動を、もうすこし追いかけてみたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.10 20:54:14
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