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カテゴリ:ブッダ達の心理学1.0
<1>より続く
「魂の螺旋ダンス」<2> The Spiritual Spiral-dance はるかなる今ここへ 長澤靖浩 2004/10 第三書館 この本を読むにあたって、私はちょっと身構えたところがある。なかなか難しそうだぞ。心してかからねば。なんせabhiさんは理論家だ。しかも難しそうな漢字がいっぱい並んでいる。さらにこの第三書館というのは、あの「堕ちた神(グル)」を発行した出版社である。 なにが書いてあるか分かったものではない、などとちょっと大げさに警戒したふりをした。もっとも私はOshoへの批判本はもっと存在してもいいと思っている。もっと明確で図星であるなら、大歓迎だ。ヒュー・ミルンだけでは、随分と不足の部分が多かった。 さて、この本、序章から第1章を読み終わった頃、私の疑心暗鬼な気持ちはまったく勘違いであり、読みやすく共感する部分が多い一冊であることが分かっってきた。第6章、そしてあとがきまで一気に読んでしまった。 読み終わったところで、まずは第一印象を書いておこう。前半部分は、地球人類上の大きな宗教や、日本列島の神道、古神道、シャーマニズムなどに触れられている。なかなか意欲的な試みであり、著者がいかに幅広く勉強しているか、そしてそれをいかに俯瞰するだけの力を十分持っているか、ということが分かった。 しかし、よ~く読んでいくと、たしかに目新しいのだが、どうも畳の表替えのような感じがしてならないのである。表面は、確かに新しいイグサで新鮮な香りを漂わせている。だが、元々の基本的な部分は、すでに現代思想の潮流としてある、さまざまな支流・傍流も含めて幅広く取り入れているというイメージなのである。 後半においては著者の精神的彷徨の時々のエピソードが書かれている。なかなかこのような個人的な体験やビジョンなどを開示することはむずかしいのだが、かなり真摯に書かれている。そこで、著者に対する第一の違和感は、Oshoを「グル」と呼んでいることである。そして、その後に、さらに他の「グル」めぐりをしていることである。 私は、Oshoを「グル」というものとしてみたことがなかった。一般的なインド人たちがOshoをみるときは、まさに「グル」というニュアンスで見ているのであろう。しかし、すくなくとも70年代中盤からから90年にかけての一般的なサニヤシンたちはOshoを「グル」とは呼んでいない。呼ぶとすれば「マスター」である。 ヒンズーと英語の違いであり、本質的に違いはないではないか、と言われるかもしれないが、これは大いに違う、と言っておく。「禅」と「ZEN」の違いに似ている。この部分は、とても大きいのだ。著者は、ライフスペースやオウム真理教の指導者をも「グル」と呼んでいるようだが、その「グルイズム」批判とやらは、もともと、どこからやってきたのか、私はまだしっかりととらえていない。 今夜は読んだことだけを書いておく。単にイメージしか書けなかったが、次回はもうすこし本文を引用する形で、再考したいと思っている。(上の図版は本書P9より引用させていただきました) <3>へつづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.03.07 21:59:03
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