(1)よりつづく
「さよなら、サイレント・ネイビー」 <2> 地下鉄に乗った同級生 伊東 乾
何の因果か、正月元旦早々、この本の読書で今年がスタートすることになった。読みたいと思っていたものを、正月にまとめて読もうとストックしておいたのだから、仕方ないとして、なんと重い課題を持った一冊なのかと、ため息がでた。
私の読書は、本を正しく評価するというものでもなく、紹介するものでもなく、ましてやダイジェストを作ろうというものでもない。私自身がブログを続けるために、読んだ本に口火を切ってもらって、それに反応する自分を開示してみようという試みである。だから、この本に限ったことではないけれど、特にこの「さよなら、サイレント・ネイビー」のような本については、正しく引用できない可能性があるので、多くの方々が実際に手にとって読まれることを期待する。
「たとえどんな境遇にあっても、豊田は俺の生涯の親友だよ。昔も今も少しも変わらない」p183
この本のテーマは、この一行に表されている。地下鉄サリン事件の実行犯の一人となった豊田亨に対する友人としての著者の想いがこの本を作った。同内容について広く社会に問うことを意図したが、著者は通常の形での出版の機会をなかなか見つけることはできなかった。刊行はもはや不可能かと思われた時、「開高健ノンフィクション賞」にエントリーすることになり、それがしかも第四回の賞を受賞することによって、ようやく日の目をみた作品なのである。
だから、崔洋一のように、最有力の問題作とみなしながら、選考に反対した選考委員がいたことににも納得がいく。ノンフィクションという技法からは、やや外れた、自らの意見や解釈の多さや、小説を思わせるような会話などが続く。しかし、それは、かつて書かれたものを、応募のために書き直したせいであり、その混乱ともいえる不統一は、この本を飽きさせずに読ませ、その緊急性を読者に訴える良い結果も生んでいる。
私は、この小説を読んでいて、どうもこの本で書かれている内容と、私がいままでイメージしていた豊田亨という人物像がうまく重ならなかった。あらためて、Googleで検索してみて、ああ、この人だったか、とあらためてその顔を覚えなおした。どうやら、私は、別人である中川智正被告のちょっと太めでカエルが怒ってにらんでいるような(失礼!)人相を想像していたようだ。
2年後期の試験が近づき、友達のノートのコピーが出回るようになって、「豊田ノート」を初めて見たときの衝撃を今でも覚えている。きれいとか、完全という言葉では足りない、驚くべきノートだった。まず字がただ事でなくきれいだった。初めて聞く内容でも、ポイントをびっしり抑えて、明確にノートされている。p196
なるほど、この方の写真を見れば、このような表現をされるのも納得がいくような気がする。この本に共感なり、自分なりの思考の足がかりをつけるとすれば、いくつかのポイントに分けることができる。
1)著者自身の生い立ちについて
2)友人である豊田亨について
3)オウム真理教について
4)日本社会への言及について
5)地球と人類の未来について
1)については、父親が満州へ学徒出陣し、シベリア抑留や復員後の廃人同様の病状を体験しつつ、40歳で結婚したものの、著者6歳の時に、肺癌で亡くなってしまったこと。著者が「戦争は、私にとって教科書上の歴史や人ごとではなく、小学生以来、毎日の生活にちりばめられたルサンチマンだった。」p67と書いている。これほどではなくても、私もまた、似たような経緯で父親を8歳の時になくしている。著者のルサンチマンの在り処に共感を感じる。
2)豊田亨本人については、彼が寡黙であることもあって、いまいちわからないことも沢山ある。しかし、「豊田自身による再発防止への呼びかけ -松本智津夫の死刑確定を受けて・・・2006年9月16日」p337という文章から察するに、まだまだ、彼の語り得るチャンスはあるという感じがする。本人は、いくら語っても理解してもらえないだろう、と考えているとするなら、それは思い直してもらいたい。少なくとも私は、この本の続編としてでるだろう、彼の実声を聞いてみたいと思う。
瞑想者としては、彼が今、拘留されつづけているとしても、その運命を乗り越える力を得てもらいたいと思う。単純に比較はできないが「<帝国>」や「マルチチュード」などを表しているアントニオ・ネグリなども、ながく収監されながら、その環境の中で、優れた業績を残している。
サイレント・ネイビーとは「あれこれ政治に口出しをする陸軍と違い、海軍は黙って任務を遂行し、失敗してもあれこれ言い訳せずに黙って責任を取る」p318というところに由来しているという。「さよなら」とは、著者がだれに向かっていった言葉なのだろうか。黙って死刑台に消えていく友人に別れを告げる言葉なのだろうか。いや、「男は黙って去る」と言った美学に、もし浸っているとすれば、豊田よ、その美学に別れを告げて、語れ。想いをぶちまけよ、と、友人として、無二の親友として呼びかけているのだろう。
3)については、あまりに膨大なので、ここでは触れない。しかし、事件後11年を経て、直視する力をもつべきだと、いう必要性は感じる。このブログで、徐々に触れていくことになろう。
4)オウム真理教と日本や日本人との相似形を語ることは、より多くの日本人の心情を揺り動かすかも知れないが、私はあまり歓迎しない。日本人や日本人の戦争責任は当然問い続けられるべきだと思うが、オウム真理教とは別個の問題だと思う。ここでニアミスしてしまうことは、むしろ松本たちの思う壺に嵌ってしまうのではないか。
5)については、この本では、大きな展開はないと思ってよい。
村上春樹は、地下鉄サリン事件について着想をえた「アンダーグランド」というノンフィクションを書いている。著者は、この小説の各所に違和感をもっている。私はこれから読んでみるつもり。
ところで、本書で何箇所かでOshoの名前がでてくるのでドキッとする。著者は大学社会学の見田宗介の合宿ゼミでOshoの話に触れている。
バグワン・シュリ・ラジニーシの「ダイナミック・ヨーガ」の話も魅力的だった。1983~4年ごろのことだ。p229
半年のゼミでは、まず教室で、禅の「十牛図」や、バグワン・ラジニーシの「ダイナミック・ヨーガ」などの話題を扱った。ちょうど豊田が「オウム神仙の会」に通い始めたころ、私は大学のキャンパス内で、「社会学」という学問の枠と「自我論・間身体論」というテーマ設定がある中で、クンダリーニなどのヨーガの概念を知ることになったのだ。p231
こちらは1987年頃のこととされる。
この本、「第4章 欣求 -官能と禁忌の二重拘束ー」P101 では、クンダリーニや性愛エネルギーに語っているところも興味深い。
続く