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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2007.02.24
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カテゴリ:マルチチュード

 

「オウムと私」 
林 郁夫 1998/9 文藝春秋 



 この本を読んで、何を書いたらいいだろうか。ここだけは抜書きしておきたいというところは最後のところ。まずは、ここを転記しておこう。

 
もし時間を戻せたら、もし殺し、傷つけてしまった方々を元どおりにしてあげることができたらと、いつの間にか考えている自分に、ふと気づくことがあります。償いのかなわないことをしてしまいました。悲しみと苦しみを与えてしまった高橋さん、菱沼さんとその遺族の方々、そして多くの方々に、私の全身全霊をあげてお詫び申し上げます。そして、亡くならせてしまった方々のご冥福と傷を負わせてしまった方々の回復を日々願い、心から祈っています。
 
 魂というものがあるのならば、私のやったことと多くの方々の悲しみと苦しみを忘れないようにとその魂に刻みつけ、二度と繰り返すことがないように、毎日祈りをかけています。償うすべのない行為でした。「忘れないこと」、それのみがこのような罪を犯した私にできることなのだと、いまは思っています。

 このようないい方をするのは不遜でありますが、私が今生で死ぬ前にせめてこのような人間らしい気持ちだけでも取り戻せたのは、そのきっかけを与えてくださった高橋さん、菱沼さんのおかげだと思っております。
 p494

 ほぼ500ページになんなんとする筆者の述懐に、読んでいる私はほとんど言葉を失ってしまう。事件からすでに12年、この本がでてからですら、すでに8年半が経過している。私はこんな本なんか読むもんかと思っていた。私の心もそうとう頑なだった。ほんとは読みたくなかった。だけど、ごくごく最近になって、ようやく読んでみようかな、と思い始めた。

 許せない。どうしても許せない。絶対だめだ。私はあの地下鉄サリン事件が一段落したあとは、ずっとインターネットやネット社会のほうに「逃げて」いたと思う。できるだけ話題をそらしたかった。彼らのことなんか、忘れてしまいたかった。なかったことにしたかった。

 でも、やっぱり事実は事実としてあって、消えてしまうものではない。インターネットやネット社会の動向も面白い。そのようなインフラとしての拡大と膨張をつづけていくWeb2.0はいよいよ本格化してきた。もう後戻りしないところまで来てしまった。そういう確信が湧き始めている。ああ、そういう今だからこそ、あの事件のことをもう一回思い出してみようかな、と思い始めたのかもしれない。

 だとしても、林郁夫の本など読むもんか、と思っていた。ひどすぎる。やったことはあまりにひどい。有りえない。絶対許さない。彼のことは大体知っていると思っていた。麻原集団の幹部としての医師であり、地下鉄サリン事件の実行犯のひとりだ。逃亡のすえ逮捕され、実行犯の中では、自白に近い形で一番最初に事件の全貌を語り、ほとんどが死刑宣告を受けたのに、ただひとり無期懲役に逃れた。

 だいたいのアウトラインは知っている。そして、それ以上、私が彼に関心などをもつ必要などない。何の関心もない。そう思ってきた。ひたすら無視してきた。だけど、どうやら、それは無理なようだ。私はあの事件を忘れることはできない。許すか許さないか、というより、直視はしなくてはならない、と最近、思うようになった。いや、直視なんかできるもんか。事件の全貌なんてわかりはしない。私のわかる部分なんてどうせ限定された範囲に限られている。まぁ、せめて視野狭窄にならず、目に触れたものは、ごく自然体に手を触れていくしかないのかな、というところだろう。

 この林郁夫の本が98年にでていることに、私は本音を言えば、ちょっと早すぎるのではないか、と思った。そんなに2年や3年で、「反省」なんてできるもんか。自らの減刑嘆願のためのパフォーマンスかもな、とさえチラッと思った。でも、どうやらそうではない、ということはページをめくるごとにわかってきた。

 この人は、あの年の3月19日までは、自分がそのような立場になるなんてことは、思いもつかなかったのだ。彼の「素直さ」「純朴さ」が使われたのだ。彼にはスキがあった。それもまた彼が持ち運んできてしまった因縁としかいいようのないものだろう。

 彼は1947年に生れたが、学生時代は自分でいっているように「ノンポリ」だった。私は、もともと団塊の世代の「ノンポリ」はどうも許せない性分のところがある。やるべき時になにもしなかったことを許せないのだ。私は逆に、遅れてきた世代なのに、すこし先走りすぎたのだが。

 林郁夫は、桐山靖雄のもとで10年ほど過ごしている。実は、私は、これも気に食わない。私が桐山を知ったのはたぶん71年頃。「密教食」というものを知人から紹介された時だった。その時から、いかがわしい奴だナァ、という印象は消えない。その後、アーガマだろうが阿含だろうが、心は許すことはない。年代を追っていくと、林は、私より7歳年上だが、精神世界の旅路では、たしかにやや遅れている。耳年増の私にとっては、おいおい、そのころあなたはそんなことしていたのかね、とすこし冷やかしたくもなるときがある。

 しかし桐山のもとを離れて麻原のもとに行ったあとにおいても、彼の「素直」さは、ある意味、魂の「幼さ」さえ感じる。カルロス・カスタネダの本を毎回毎回楽しみにしているくだりなど、同世代としては、いちいち自分のことを思い出してしまって、親近感をもつ。でも、それとてもなにか幼いナァ、と思ってしまう。麻原が林に対してどのような評価を与えていたのかは、この本だけでは正確にはわからないが、次第にこの林という人の性格や人格がだんだんと浮き彫りになってくる。

 しかし、間違いは間違いだ。私は人間を裁く立場ではないので、彼の量刑がどれだけであるのが正しいか、なんてことはわからない。そして、人間は間違いを犯しうる。間違いを犯すからこそ人間だとも言える。98年にこのような心境であったということは、それから10年近い年月が経過して、現在はどのような気持ちなのだろうか、と、ふと思った。

 最近、早川紀代秀
「私にとってオウムとは何だったのか」なんて本もでているようだ。こちらもそのうち機会があったら読んでみようと思った。

 今、林の魂はどこにいるだろう。まさか桐山のところに戻ったわけではないだろう。まして、これだけ「依存性」の高い彼は、ひとり歩む、なんてことはできていないかも知れない、と思ったりする。事件がよくも悪くも提起してしまった問題は、深い。やはり忘れることはできない。






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Last updated  2009.02.09 22:20:57
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Re:オウムと私 林 郁夫(02/24)   Bhavesh さん
10年前、私は私なりに、彼らと必死に対峙していたことが分かる。
あの一連の作業があったから、もう私は振り返らない。 (2018.07.07 00:23:53)

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