
地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「麻原彰晃の誕生」 <1>
高山文彦 2006/2 文春新書
この本は2006年にでている。いわゆる地下鉄サリン事件から11年を経過してのノンフィクション作家の詳細な事実の再構成である。さすが、これだけの時間をかけると、かなり違うなぁ、と思って読んでいたが、実は、大部分は1996年5月から8月に「現代」に書かれたものであり、残りの終章は、2001年6月から8月にかけて「フォーカス」に連載されたものであるという。もちろん、今回一冊にまとめて新書として出す限りは、それ相当の加筆訂正されたことは間違いないだろう。
しかし、むしろそうだったとするなら、やはり高山の文章が私にとっては的を得ているように思える分だけ、当時の、吉本隆明らの言説は、やっぱりおかしいなぁ、と思わざるを得ない。高橋英利、林郁夫、早川紀代秀など、内部的な人間たちの告白、あるいは村上春樹たちによる事件の被害者たちの体験談などが明らかにされるにつれ、事件の全体像が切り取られるなか、麻原個人の全体像が見えないのは、麻原が口を閉ざしてしまったばかりでなく、あまりにそのかかわる事象が多岐にわたっているせいであろうと思われる。その中にあって、この高山文夫の本は、おちついて麻原の人生について考える、よい機会を与えてくれていると思う。
私はあまり本を読んでいなかったし、とくに麻原関係は避けていたので、見逃しているものもたくさんあるだろうが、麻原のライフストーリーの、特に生い立ちから集団形成前半期までの経過について、ノンフィクション的追求した本は、私にとって、この本が初めてだった。実に、こまかいディティールまで書かれていて、そのリアリティに胸を打たれる。
特に、その彰晃という名前の由来となる、「自念信行会」の西山毅夫(現・祥雲)という人物をこの本で初めて知った。1982年当時、世田谷祖師谷の事務所に現れた麻原は、この名前をもらったとされる。まだ麻原という名前はない。つまり松本彰晃と名乗り始めた、ということか。
あるいは、一度、上京したが、挫折して九州に帰った1976年当時、大分のY組系B組のAという人物のもとにいたのではないか、という「異聞」を伝えている。この辺を限りなくレポートしている資料は少ない。この辺から、村井殺害に及ぶなんらかのシンジケートがあるやなきやは、余人の推し量れる範囲の外だ。また、麻原という名前は、83年夏に、ヨガ教室の前身となる学習塾を開いたおり、生徒募集のチラシに初めて用いたとされる。麻原彰晃の誕生である。
この本の終わり方もなかなかユニークだ。「ヒヒイロガネ」で終わっている。ヒヒイロガネについては、詳細を避けるが、つまり、岩手県釜石周辺の自然界に存在する鉄分の多い丸石から生成された金属、ということになろうか。この研究を、酒井勝軍の文献から知った麻原は、現地に赴き、古老の研究家から大量に貰い受けたとされる。1985年6月のこととされる。
酒井勝軍のプロフィールを知れば、日ユ同祖論や「陰謀論」と容易に連想されていくのであり、島田裕巳のように、のちに井上や早川などの「弟子から教えられ、それを鵜呑みにしてしまった」とするのはどうかと思う。このヒヒイロガネでふたたび注目される東北の隠された神秘性だが、このような文脈ででてくることに、私は寂しさを覚える。
この本に書かれた麻原の人間像の真偽については、類書がでてくるとすればそれと比較することで検証していくことも必要だろう。しかし、書かれた部分より、まだ書かれていない部分が、今後なんらかの形で提出されることを望む。
<2>につづく