|
全て
| 目次
| 2nd ライフ
| ネットワーク社会と未来
| マルチチュード
| アガルタ
| シンギュラリタリアン
| 地球人スピリット
| マーケットプレイス
| ブログ・ジャーナリズム
| OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2
| mandala-integral
| レムリア
| スピノザ
| ブッダ達の心理学1.0
| シンギュラリティ
| agarta-david
| アンソロポロジー
| バック・ヤード
| チェロキー
| 環境心理学
| osho@spiritual.earth
| スピリット・オブ・エクスタシー
| 22番目のカテゴリー
カテゴリ:アガルタ
「チベット永遠の書」 宇宙より遥かに深く <シャンバラ>極限の恐怖の果てに「生」の真理を見た T・イリオン 林陽 1994/7 徳間書店 初版1936~37 この本のマーケティングのせいか、私はず~とこの本を避けてきた。店頭でも手に取ったことがあるし、古本屋でも買うか買わないか、何度も悩んだ。でも、自分のそばにずっとこの本があることを考えると、ちょっと気味が悪くなるので、遠ざけてきた、ということか。でも、やっぱり読みたかった。図書館には、当たり前のように入っている一冊である。 この本は1936に発行された「In Secret Tibet」(秘密のチベット)と37年にでた「Darkness Over Tibet」(チベットの闇)の二冊が合本されている。「本書は、ナチス政権を掌握した(1934年)アドルフ・ヒットラーが毎年チベットに調査団を派遣する誘引になった本である。」p333とされている。ナチスに影響を与えたチベット本は、ディクホフの「アガルタ----虹の都---- 」や、ブルワー・リットンの「来るべき民族」など、複数言われている。 私はしかしながら、どうもこれらの小説(?)を素直に認めがたいと感じていて、ゆがめられたチベット像が展開されているような予感というか、先入観があった。例えば、オウム真理教のオウムという言葉が、なにか禍々しい事件と連動して語られることに常に違和感を感じていて、麻原集団と別称をつけて呼んできた。オウムはオウムとしての「聖なる音」として、清らかなヴァイブレーションを保ち続けて欲しかったのである。 しかし麻原集団の顛末を追いかけ、あるいは、チベット密教の「神秘」をわずかづつではありながら、一枚一枚その包みを開けていくと、私の潔癖さや頑なさは、ちょっと一面的過ぎるのではないか、と思うようになってきた。つまりは、チベット密教には(にも、というべきか)天国と地獄が内包されているのであり、オウム(A-U-M)という聖音にも、この世の始まりと維持と終わりが含まれているのである。チベット密教は即、聖なる世界一辺倒、でもなく、聖なるものを含みつつ、常にそれに対峙する負のエネルギーも抱えているのである、と思うようになってきた。 だから、麻原集団は、チベット密教を誤って用いてしまったのではなく、麻原集団は意味じくもチベット密教の「悪の側面」を色濃く表現してしまったのではないだろうか、と思うのだ。彼らが踏み入った領域には、善なるものが全くないわけではない。いや、全っき善と信じていたからこそ行なわれてしまった行為があるし、また、いまでもそう信じている流れもないわけではない。 このイリオンの本は、かつて出版はされたものの、原版が失われており、わずかに大英博物館に残っていたものが、なんと1991年になって、ようやく復刻されたもの、とされている。日本では、1994年に日本語訳がでている。地下鉄サリン事件の直前というタイミングがなんとも、禍々しい雰囲気をかもし出している。 今回、初めて、通して読んでみて、この本を「小説」と決め付けてしまうのは、なんだかおかしいな、と思う。この本はこの本でよいのではないか。特に、問題となる後半の部分「チベットの闇」が翻訳されている部分だが、これはこれとして、このまま読んでも、いいのではないか、と思う。まぁ、しかし逆に考えると、当時としては珍しかった白人による3年におよぶイリオンのチベット探検で、彼が得たものがこの程度のものであった、とするなら、まぁ、それはそれで、しかたないのかな、と思う。 同時期にチベットを探検しているレーリッヒや、その他、多田等観、河口慧海、あるいはいくつかのレポートの存在を知るにつけ、イリオンが「3日間」でみた「地下世界」でのことが、ちょっと短絡的で一方的な決め付けがはなはだしく、大いなる誤解を生じてしまっている趣もないではない。まぁ、しかしこのような見方があり、このようなレポートがあるのだ、ということは記憶しておく必要があるだろう。私は本文より、「訳者あとがき」のほうに興味をひかれた部分が多くあった。 伝説によれば、中央アジアの地底深くに「アガルティー」と呼ばれる超人たちの地底世界があり、首都シャンバラには「世界王」と名づけられる支配者が君臨しているという。 "Beast, Men & Gods"(1923)の著者でロシアの探検家フェルディナンド・オッセンドフスキーはこう書いている。「アムール河流域に住む古老たちは、あるモンゴル部族がジンギスカンの追跡を逃れるために地底の国に身を隠した、という古い伝説を語ってくれた。それから、モガン・クル湖近くから来た一人のソヨトが、アガルティーへの入口になっているという煙の立ちのぼる門をわたしに示した。かつて、この門から一人の猟師がアガルティーに入り、戻ってからそこでみたことを話し始めた。ラマは彼が秘中の秘を口外しないように舌を切ってしまったのである」p328 この辺はすべて孫引きだから、そのうち原典(といっても翻訳だが)あたろうと思っている。つづいて、レーリッヒの言葉も引用されている。 ロシアの有名な画家で神智学者のニコラス・レーリッヒは、イリオンの10年前に大規模なキャラバン隊を率いてチベット入りし、師と仰ぐマハトマ・モリアの足跡を辿り、シャンバラを探し求めたが、最後には挫折した。当時の克明な日記は400ページを越す大作"Altai Himalaya"となって1929年に出版された。彼はこう記している。「中央アジアのある伝説は、神秘な国、地下のアガルティーについて語り伝えている。この王国に至る入口に近づくと、あらゆる生物は動きをとめ、ひっそり静まり返る。ラサとココノル地区にある地底の住居について語る情報は多い。モンゴルからきたラマはこんな伝説を語った。14世紀、偉大なる師ツォンカパの時代、ゲンデン寺の礎が定められたとき、岩の隙間から香の煙が立ちのぼるのがみえた。ツォンカパが入口を開くと、下は洞窟になっており、一人の老人が身動きせずに座っていた。ツォンカパが老人を三昧から起こすと、彼は一杯のミルクを求め、どのような教えが地上で行なわれているのかとたずね、それから姿を消した」p330 14世紀のツォンカパ、という人物は、一つのメルクマールになるかも知れない。11世紀の怪僧ドルジェタクから300年後に現れた中興の祖、ともいうべき人か。 従来、オカルティストたちはシャンバラをアガルティーの首都として言及してきた。にもかかわらず、本書(イリオンの著作)が出版されて以後、アガルティーとシャンバラを別扱いし、アガルティーを悪、シャンバラを善とする考え方が主流になってきたのは興味深い。真実を覆い隠そうとする巧妙な言葉のすり替えであることは明らかだが、逆にいえば、イリオン氏の証言がいかにオカルティストたちに大きな影響を与えたかを物語るものであろう。p331 アガルティーとここでは表記されているが、日本語では一般にはアガルタ、本ブログではアガータも採用している。すべてが同じものか、わずかづつでも差異があるのか、今はあえて距離をつめないでおこう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.31 13:06:39
コメント(0) | コメントを書く
[アガルタ] カテゴリの最新記事
|
|