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カテゴリ:アガルタ
「チベット滞在記」 多田等観 1999/2 白水社 多田等観(1890~67)秋田の僧侶の家に生れる。1912年1月インドに渡る。ヒマラヤ山中カリンポンにて13世ダライ・ラマに謁見。1913年7月、ブータンを経て、チベットの首都ラサに入る。以後10年チベットに滞在し、僧院生活を送る。1923年帰国、東北大、東大、慶応大講師を歴任。(著者紹介より)p230 1912年というのは、中沢新一がチベットに入るより、65年早く、T・イリオンより20年早く、レーリッヒより10年も早い。しかも、10年もチベットに修行僧として滞在している。河口慧海はさらに10年早くラサに入っているが、10年後に再入国したので、等観とは同時期にチベットに滞在していた、ということになるだろうか。それより以前となると、1891年に亡くなったマダム・ブラバッキーなどは、もっともっと秘境たるチベットと交信していたということになる。出口王仁三郎は、1871年~ 1948年の人生だから、多田等観は、王仁三郎より20歳年下ということになる。ちなみにグルジェフは1877年~1949年の生涯である。 この本には、ダライ・ラマが盛んに登場する。ただし、ノーベル賞を受けた14世ではなくて、1933年に亡くなった13世のダライ・ラマである。 ダライ・ラマは現在は14世であるが、この方にはお会いしたことがない。これまでのダライ・ラマのうち著名な人は、まず5代目のダライ・ラマで、政治にも宗教にも、そして一般学問にもすぐれていた。 6代目のダライ・ラマは詩人であった。この人は自由奔放な生活を好んだ変り種で、ダライ・ラマでいることが厭で早世した。自殺したわけではないが、死にたいと思うと死ねるようになるのである。p98 一般にダライ・ラマは転生仏とされているが、このようにしてみると、必ずしも、一つの同じキャラクターが転生していくのではなく、その時、その時のキャラクターは別々のようである。等観がチベット入りした所以は、本願寺法主・大谷光瑞の導くところがおおきいのだが、等観がダライ・ラマ13世に謁見したのは21歳の時、ということだ。この本には、当時の周囲の状況がよく克明に描写されており、当時のチベットの状況について、貴重なレポートとなっている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.31 13:04:43
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