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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2007.03.28
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カテゴリ:アガルタ

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく



「マンダラ瞑想法」 密教のフィールドワーク 
立川武蔵 1997/9 角川選書

 立川武蔵には
「チベット密教の神秘」「チベット密教」共著がある。そのネットワークは、現在の日本においてチベット密教の情報を集めようとしたら、決して無視はできない存在と言えるだろう。しかし、「密教のフィールドワーク」という副題に比して、レビィ=ストロースの人類学的フィールドワーク風な手法を取っているようでもなく、カルロス・カスタネダの「ドンファンの教え」のような一貫性もないように思う。

 この本を読んでの一番の違和感は、90年代初頭から1997年までにかかれた文章であるにも関わらず、麻原集団について一切触れていないことである。単語さえもでてこない。それは一つの求道者としての矜持である、と見ることもできるし、同時代に対する無関心、無責任、と見ることもできる。あるいは、ちょっとタイミングがずれている、と言っていいのかも知れない。

 密教の観想法、修験の修法、憑依。どれも実際に体験することはすこぶる困難だ。しかし、それらを「内的に」観察できるほどに肉迫できなければ、宗教体験の本質はわからないであろう。ならば実際にそれらの修法や体験の「なかに身をおいて」理解してみよう、とわたしは思い立った。本書の副題が「密教のフィールドワーク」と名づけられたのはそのような理由による。p11

 それはある意味、中沢新一
「虹の階梯」にも通じるところもあるのだが、どうも何かのピントがはずれているような感じがする。それは、立川自身んが「あとがき」で書いているように「不明なことは増えたが、明らかとなったことはごくわずかなようだ」p251と思える。既知、未知、不可知、という意味での「不明なこと」ではなく、ますます迷いの只中に押しやられてしまった、という感じがある。つまり「さとり」がない。

 妻はこの数年のわたしをみながら「壁の向こうに行ってしまったら、離婚だ」といいつづけてきた。コントロールの利かなくなった気球のようなわたしと現実とを結びつづけてくれた妻にも感謝したい。p254

 この文章は1997年5月の文章だ。チベットやアジアに遊ぶ立川自身は、まったく無視続けたとしても、(たぶん)日本社会に住む「妻」は、おびただしい量で流される麻原集団の情報にさらされ続けていたはずだ。同じようなフィールドワークの立役者・中沢新一はこの時代に、最大限に叩かれている。その辺の超時代性は、この著者の長所なのか、短所なのか、いまのところは判断がつかない。この辺の「鈍感さ」は、著者がインド・プーナ市のバンダルカル研究所を訪れていながらp148、Oshoに触れていないところにも現れているように思うのだが、どうだろう。

 「第三章 文殊を見たツォンカパ---チベット仏教と観想法」p53において、チベット密教中興の祖ツォンカパに触れている。

 ゲルク派の開祖ツォンカパは、チベット仏教の宗教改革を行なった人物であり、その後のチベット仏教の理論体系と実践形態とをかたちづくった人物といっても過言ではない。彼は比丘としては厳密な戒律を守り、インドより伝えられた論理学、認識論、世界観などの知の体系を重んじ、さらにインド後期密教の主要な経典に注釈を施している。「密教的ヨーガ」の実習の手引き書も著している。後世、ゲルク派の座主がモンゴルから「ダライ・ラマ」の称号を与えられて、ダライ・ラマ制度が生まれた。現在のダライ・ラマは14世である。p61

 この本のタイトルは「マンダラ瞑想法」となっているが、必ずしも、完成された一貫した瞑想法が紹介されているわけではない。

 マンダラは、当初は主として入門儀礼において弟子に灌頂を授ける場をつくるための手段であったが、後世には瞑想のための手段としての機能も重要なものとなった。ここでいう瞑想とは、マンダラ図を前にして、あるいはそれを思い描きながら、マンダラのなかの仏や菩薩たちと「一体となること」を体得する密教のヨーガのことである。この瞑想が、マンダラ瞑想法として仏教タントリズムの主要な実践方法として、長く伝えられてきた。p27

 以上のように、言葉でいうのは簡単だが、一生かかってもできないものはできない。本書とは関係ないが、Oshoには
「OSHOマンダラ・メディテーション」がある。チベット密教で使われる「曼荼羅図」とはなんの関係もないが、実際に行なってみると、相当にパワフルな瞑想法である。





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Last updated  2009.03.31 13:01:17
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