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カテゴリ:アガルタ
![]() 「魔法と猫と魔女の秘密」 魔女の宅急便にのせて 正木晃 2003/3 春秋社 正木晃の一連の仕事が素晴らしかったので、こちらまで手を伸ばしてみたが、さてこのブログの現在の流れのなかで、この一冊を読むことが、正しい「乗り」だったかどうかは、微妙な感じがする。「魔女の宅急便」は大好きだ。ジブリ作品の中では、数少ない映画館の配給で「黒字」になった作品のひとつだという。また、この作品には原作者がいるという。私もこの作品なら、なんとかジブリ作品にはついていける感じがしていた。 もともと、このブログを始めた頃、手探りでテーマを求めていたが、うちに奥さんが勤務先である中学校の図書館から借りてくる中学生向きの図書、とくに「ハリー・ポッター」などの大流行をみながら、この兆候と私が体験してきた「瞑想」なるテーマが、どこかで接触するものであるだろうか、ということが、まずあった。そして、私なりにファンタジーを読んでみたりはしたのだが、どうやら私にはファンタジーを読み通す才能はないらしい。 そして、また私なりに体験してきたと思っていた「瞑想」の世界についても、まだまだ私の理解は、狭く、薄く、初歩的なところにとどまっているのではないか、という思いがふつふつと湧いてきた。だから、自然と、社会学や宗教学から麻原集団がらみの時事問題になり、やがて中沢新一や島田裕巳を読みながら、次第にチベット密教へと歩みを進めてきた。ここにきて、正木晃のこの一冊で、またいきなりこのブログのスタート地点の原点に引き戻されたような、ちょっとした「車酔い」のような感覚を味わった。 ところが面白いもので、どうやら私とは、一線を画す読書路線を行っているわが奥方が、この本に手を伸ばしてきた。私より先に読んでしまったのである。まぁ別にあとさきはどうでもいいのだが、どうやら、この本あたりが私と奥さんの接点というか、共通テーマのギリギリのところらしい。彼女は、いま現在テレビで上映されている「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」をヘッドホンをかけて見ている。私ときたら、それらのファンタジーは、どうも本気になってみる気はないので、こっちはこっちで、パソコンをいじっていたほうがマシという感じだ。 この本では、西の魔女、東の魔女、よみがえる魔女たち、猫の巻、とちょっと中沢新一ばりの、かといって初学者向きの宗教学的テーマが、おもしろおかしく書いてある。著者には、このほか「はじめての宗教学---『風の谷のナウシカ』を読み解く」や、「お化けと森の宗教学---となりのトトロといっしょに学ぼう」などがある。面白そうではあるが、私にはちょっと、年寄りの冷や水的なところがあるので、そろそろこの辺で、この路線からは、ひきかえそうかなぁ、と思う。 昨日読んだ「チベットの娘」が引用されているので、そこだけ抜書きしておこう。 20世紀の魔女 魔女はチベットの歴史のいちばん初めのところにいただけではない。ごく最近まで、チベットには魔女がいたらしい。 リンチェン・ドルマ・タリンという名の貴族出身の女性が書いた『チベットの娘』(中公文庫)には、恐ろしい「魔女(ドゥマ)のせいで自分の母親が早死にした話がでてくる。その事件が起きたのはリンチェン・ドルマさんが数え年で10歳のときで、彼女は1910年の生まれだから1919年のことのことになる。p108
Last updated
2009.03.31 12:58:38
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