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カテゴリ:アガルタ
「タントラ 狂気の智慧」 チョギャム・トゥルンパ 高橋ユリ子+市川道子・訳 1983年 原書The Myth of Freedom 1976 このブログでは、「チベットに生れて」、「仏教と瞑想」、「タントラへの道」、に続くチョギャム・トゥルンパの本であり、その弟子アメリカ女性のペマ・チョドロンの「チベットの生きる魔法」などとともに、現代のカルマ・カギュー派の香り漂う本と言える。 図書館に蔵書がなくて、市内の図書館から取り寄せてくれることはたびたびあるが、それでもなければ、県内の図書館や隣県の図書館を探してくれる。だが、この本は、なんと1000キロ離れた図書館から借りてもらったものだ。関係者に感謝するとともに、ひょっとすると、この本は、出版当時の現地の知り合いが入れてくれていたのかもな、とちょっと遠い地へ思いを飛ばしてみる。 この本の原題は、The Myth of Freedom 、「自由の神話」とでも訳すべきタイトルのように思うのだが、確かに、この本のスタートは、エゴや精神性、失望や悲しみと言った、より一般的な言葉で平易な個人個人の内面が語られる。しかし、後半にいくと、まさに「狂気の智慧」という日本語タイトルにふさわしいチベット密教について語られる。小乗、大乗につぐ、金剛乗の世界。あまり日本仏教では語られない部分であるが、1976年の段階で、アメリカ・ボールダーで37歳のトゥルンパはこのようなレクチャをしていたことになる。 そして最後は、ガンジス川のほとりで、ティロパからナロパへ口述されたといわれる「マハムドラー・ウパデーシャ」で締めくくられている。この詩こそ、マハムドラーの詩、として、Oshoが11975年に最初に日本に紹介された「存在の詩」の題材となっているものである。さっそく、本棚から「存在の詩」を引っ張り出してきて、比較してみたが、意味は当然おなじだが、口述されたものが記録され、さらに翻訳が繰りかえされたものであり、互いの表現のしかたには、かなりの違いがある。しかし、その意味するところは、当然、変わるものではない。 残念ながら魅惑的で華麗な約束ごとは登場しない。智慧とはなぜか平凡な家事労働なのだ。仏陀はあるがままの世界を見た。それが彼の悟りであった。<仏陀>とは<目覚める>こと、目覚めていること、完全に目覚めていることを意味する。それが私たちへの彼からのメッセージのようだ。p128 精神的な道は戯れではない。歩き出さないほうがい。だが、そうするしかなければ最後まで行きなさい。歩き始めて中断すれば背後に残した未完の作業が休みなくあなたを追跡するからだ。p157 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.31 12:35:58
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