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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2007.05.10
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「存在の詩」第一号 
スワミ・プレム・プラブッタ 1975/8 アッシーシ・ラジネーシ瞑想センター 

 不思議なこともあるものだ。今日、この一冊が戻ってきた。Oshoが日本に最初に紹介されたのは「存在の詩」であることを知る人は多いだろうが、めるくまーる社から一冊の本となって出版される前に、実は1975年に、著者の手書きのオフセット印刷によって、第七話まで、300部ほどの小さなニューズレターとして一部の人々の手に渡っていたのである。一号、二号、三号と続き、4号と5号、6号と7号は合併号となった。創刊当時から私の目に触れていたが、その後、さまざまな経緯の中で、どうしても第一号だけが、手元から消えていたのである。

 自分の本棚をほじくり、ひょっとして誰かに貸したのかも知れないと、ニ・三尋ねてはみたが、消息は分からなかった。ところが、ひょんなことで、今日、10代からの友人から電話があり、「これいるかい?」と来た。法事のため片づけ中にでてきたらしい。「最もあるべきところにあるべき本だろう」と言ってくれた彼の言葉がうれしい。彼は第一号しか持っていなかったので、彼の分と私の分を合せると、5冊の完本となる。もちろん、このセットを私よりもっと大事に保存している他の友人もいて、いざとなったら借りればいいや、とは思っていたが、こうして手元にそろうということは、これは吉兆に違いない、と、素直に喜ぶことにする。

 このミニコミ・ニューズレターに対する思いは沢山ある。ひとことでは言えないので、後日に回すとして、今日は、この日本にもっとも最初に紹介されたOshoについての、プラブッタ(星川淳)の美文を転記するに留める。長文の引用だが、許されたい。以下は、できるだけ忠実に転記しているが、傍点や振り仮名などはうまく転記できない。またPC画面で見やすいように適当なところで改行している。また、もともとは手書き文字なのだが、その文字の美しさは、最初から、このワープロ文字では再現できない。

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海からの風

 この雑誌とバグワン・シュリ・ラジネーシについて

 世の中には様々な出会いがあります。親子という出会い。仲間という出会い。恋人という出会い。大地との出合い。・・・・・・つきつめれば、すべての瞬間は新しい出合いであり、生は出合いによって成り立っているものだとも言えましょう。しかしそうした出合いの中でもグル=道の師との出合いほど強烈で神秘的なものはありません。その出合いの衝撃は我々を諸々の出合いでできているこの世界そのものから放り出してしまうだけの力を持っているのですから。少なくともそれは<悟り>と呼ばれるその脱出の手がかりになるだけの何かを秘めています。

 この雑誌は私と私のグル、バグワン・シュリ・ラジネーシとの出合いをきっかけにしていまスタートしようとしています。以前アメリカで聞き知ったその名と、私にとって衝撃的だった一文をたよりに、私は昨年の12月から5か月をこのマスターのもとですごしました。

 それまでも道を求めていろいろな教えに顔をつっこみ、方々の先生たちの話を聞き指導を受けながらかえって思い惑い、たくさんの疑いや不安にさいなまれていた私が、彼のもとにあったこの5か月という短い間に得た途方もない確信と心のやすらぎはとうてい言葉にできるものではありません。しかも彼が導こうとしている真理のその一端でも垣間見ることによって生まれた圧倒的なやすらぎと悦びを知りながら、私には同じように迷い苦しみながら道を求めている兄弟姉妹たちとそれを分かちあわないでいることはできません。

 新旧とり混ぜてピンからキリまで様々な宗教や教えがせめぎあう古くからの精神の国この日本で、どうしたことか全く忘れられてしまっている覚醒の道の本質を、仏陀やイエスや老子やボーディダルマの説く悟りの真髄をその片鱗でもいい、味わってみて欲しいのです。そこで私の考えたのが、英語で語られたバグワンの講話から私の滞在中、私にとって本当に一大転機となったタントラに関する10日間の講義を選んで日本語に翻訳することでした。

 ”タントラ”とは密教という言葉の出て来る源になっている教え、あるいはひとつの究極の世界認識といってもいいでしょう。その全体を指す名称です。仏教タントラといえば、小乗、大乗と発展した仏教の最終発展形体=金剛大乗教になるわけですが、日本にいまある密教などはその本筋からとんでもないところまではずれてしまっていて、かえって本質的には禅の方がその本流に触れていた(必ずしも現在の禅宗ではありません)と思われるフシもあります。

 加持きとうで人の運気を変えたり、難行苦行秘密の法を修して因縁や悪業から抜け出そうとしたり、念の力で奇跡まがいのことをやってのけたり、霊魂の言葉や働きを聞き分けようとするのがタントラではありません。仏陀が法(ダルマ)と呼んだ旅は決してそんなものではなかったはずです。どうしてそうでないかは、これから連載されて行くバグワンの言葉があますことなく語ってくれることでしょう。

 そればかりかあなたは、タントラの真のメッセージと出会ってゆくにつれ、つまらない”小さき教え”の馬鹿ばかしさをいやというほど思い知り、タントラの説く不動のやすらぎの中へ、実在の根底から根こそぎのリラックスの中へ、エクスタシーを超えたエクスタシーの中へ、この講話に登場する神仙ティロパが”マハムドラー(大印)”と呼ぶ宇宙との存在との究極的全面的なオーガズムの中へ足を踏み入れてゆくはずです。

 この10日間の講義は、チベット仏教タントラの伝説的な始祖ティロパが、その嗣法の弟子ナロパに我が悟境のすべてを託してうたい伝えた「マハムドラーの詩」という詩を題材にしています。その中には究極の教えタントラのすべてが秘められていると言っても言いすぎではありません。これはあらゆる教えの終着点とも言えるタントラのそのまたエッセンスなのです。

 しかしここにひとつの問題があります。それは、たとえそれがどんなにすばらしい名編であっても、我々がそれと正しくまみえ、そこに秘められた光と真に出会うのはそう容易なことではないという点です。それが悟りへの道を歩く我々が、経典や書物から真理を学ぼうとするときに直面しなければならないディレンマであり、えてしてそのあたりでひっかかってしまう場合も多いものです。なぜならば、バグワンが言うように、ことは決して知識や概念体系の変化などではなく、実在の、つまり有りざまの変化だからです。文字は役に立たないのです。

 それを教えてくれるのは生きたマスター=グルだけ、生きた覚者だけが出合いを可能にしてくれるのです。そうでない限り、我々を幾多の生に渡ってひきずりまわし、いまだ栄光の座について揺るがない自我(エゴ)という心理的機能の支配を切り払って、こわれたレコードのような堂々めぐりの一切からドロップアウトすること、つまり解脱を得るということはできない相談なのです。たとえあなたが悟りを得たい、自由になりたいと思っていたところで、よく見ればそれは自我(エゴ)が自我(エゴ)を解放したいというコミカルな図式にしかすぎません。あなたは自分で自分の靴ひもをひっぱって空へ昇ろうとしているのです。

 外からのヘルプが必要です。それも知りぬいた存在からのヘルプが-------。 古来あらゆる宗教を通じて、道を求める者たちがが生命をかけても本当のグルに、本当の大覚者に出会おうと歩き続けてきたのはそのせいなのです。その出合いさえあれば、ことの半分以上は達せられたも同然なのですから。

 私はこの雑誌が、そうした出合いの中の出合いを数多く生み出してゆくきっかけになることを祈っています。

 いや、実際のところすでにその出合いは起こっているのです。なぜならば、あなたさえ聞くならば
、グルは、そのむこうの宇宙は、リアリティーというものは、いつでも完全にオープンなのです。むこうはつねに出会ってしまっているのです。それに気づかないのはあなたばかり。----- ですからタントラは、行果を積んで悟境をくすね取るようなゴリ押しの修道を一笑に付します。人間の秘められた能力を開発するだとか、行いすまし功徳を積んで自分を高めて行くだとか、因縁(カルマ)を浄化し清浄な身となって涅槃に安住するだとかの「改良主義」的はしご昇りを笑うのです。それは自然を開発するという大義名分のもとに、取り返しのつかない自然破壊を続けている科学文明、物質主義の愚かしさと同じことにすぎないからです。それはみな信頼を忘れ愛を忘れて<自然>を☆姦することしかできない人間の荒廃しきった姿なのです。

 ことを不可能にしているのは、まさにそうした愚かなゲス根性にもとづく我々のドタバタ騒ぎにほかなりません。必要なことはただリラックスして自分を開くこと。川底にあるものを求めてかえって水を濁らすようなナンセンスから足を洗って岸辺で一服するのです。やがては水はひとりでに澄み渡り、真理は輝き出すでしょう。

 宇宙はつねに完全に開いているのですから。----- 存在のリアリティーは秘められてなどいはしません。あなたが目をつぶっているのです。必死になって------。あるいは実情は眠りこけていると言った方がいいかもしれません。それも昏睡状態で------。 覚醒すること。-------これはあらゆる覚者たちの合言葉です。瞬間から瞬間へと絶えざる覚醒のもとに生ききりながら、そのときの来るのをのぞむことなくして待ち続けること。------それ以外に道はありません。からだを楽にして水に浮かぶこつさえつかめば、川は自然に海へと導いてくれるでしょう。

 生という川と共に流れて存在の大海へ------それがタントラの大道です。川の流れに逆らったり、必要以上に先を急ごうとするのは我々の小さなエゴにすぎません。部分が全体を左右しようとすることのナンセンス。グルとはそのコツを教えてくれる小さなプールです。そして同時にグルとは我々がそこを通じて存在の根源へと還ってゆく窓です。その窓と出逢ったとき、すべてを捨ててそこから身を投げることができるかどうか。それはあなたにかかっています。

 心は様々な計略をめぐらしてそれを妨害しようとするものです。論理的な中止勧告。延期のさそい。巧妙な目的のすりかえ。はかり知れない恐怖。それは自我(エゴ)にとってまさしく死にほかならないのですから。それを振りきって、「私」という自我を死ぬことができるかどうか----。

<2>へつづく

(楽天倫理規定による。☆=強)







Last updated  2009.02.10 13:01:33
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