
「現代人のための『チベット死者の書』」
ロバート・A.F.サーマン著 鷲尾翠・訳 2007/5 朝日新聞社 原書1994
今日は不思議な日だったな。ひとつひとつ上げたらキリがないし、言ってみてもしかたがないことだらけだ。だけど、当たり前のなかに、当たり前じゃない、なにかの質が加わっている。そんな感じの一日だった。季節がいいのだろうか。インフルエンザが回復してようやく体調が整ったのだろうか。だけど、流行しているというハシカも心配だな。
散歩していたら、この本が書店に平積みになっていた。図書館にもリクエストするつもりだが、順番がまわってくるのは、随分とあとになるだろう。そこでチラチラと立ち読みしてきた。最近著者のロバート・サーマンがテレビにでていた。五木寛之がアメリカの彼の研究室を訪ねる、という設定だった。彼の左目は義眼だという。そういう身体的な異変が、サーマンに死への世界の目を開き、東洋への目を養った。一つの目を失って、もっと大事な目を得た、というようなことを言っていた。
この本、原書は1993年発行である。その本が今回14年を経て、中沢新一がまえがきを書くような形で出版される、とはどういう背景があったのだろうか。島田裕巳の批判に対する中沢の回答の一つと見ることも可能だろう。この本、本来であれば、90年代後半にでてしかるものだったかも知れない。しかし・・・
「チベットの死者の書」にふたたび話題が集るのは良いことだ。西洋社会は、この本を80年間読み続けてきている。そして、いまだに汲めどもつきないその智慧に圧倒されている。
ふと気がついたのだが、「死者の書」が埋蔵経として「掘り出された」のが14世紀、12世紀に生きたミラレパやマルパやナロパたちは、ひょっとして、このような形の「死者の書」を読まなかったのかもしれないな、と思った。
そのうち、このサーマンの本もゆっくり落ち着いて読む機会があるだろう。
つづく