「フラワー・オブ・ライフ(第1巻)」 古代神聖幾何学の秘密 ドランヴァロ・メルキゼデク 2001/12 ナチュラル・スピリット
このブログの流れの中で、今確認しておくべきことはレムリアの実在でもなければ、神聖幾何学の信憑性でもない。あるいはこの本に書かれているものがすべてであるかの詮索であるとか、そのマカバ瞑想とやらの習得の必要性とかではない。少なくとも、この本を読んでいて、人類や宇宙のの長い歴史や固体のとしての転生というもののリアリティを強く感じるし、レムリアにおける多火手という転生身を強くイメージしやすくなった、ということのほうが大きな意味を持った。
トートによれば、アダムとイヴのあと、ゴンドワナのナランドを水没に至らしめた大きな地軸の変化があったとのことです。トートいわく、ゴンドワナが沈んだとき、太平洋上に私たちがレムリアと呼んでいる別の陸地が浮上して、アダムとイヴの子孫たちは故郷からそのレムリアへ連れて来られました。p142
レムリアにいた間はとても幸せでした。問題はほとんどありませんでした。そして私たちは進化の過程をものすごいスピードでこなしたのです。自分自身でたくさんのことを試し、多くの肉体的変化を成し遂げました。骨格を変化させ、尾てい骨部分を深く研究し、頭蓋骨のサイズと形を変えました。ほとんどの人が右脳系で、性質は女性的でした。ある進化のサイクルでは、ちょうどあなたが地球にやってきた時と同じように、女性になるか男性になるかを決定しなければなりません。それで私たちの種は女性的になっていきました。レムリアが沈むころまでには、私たちは種としてだいたい12歳の女の子ぐらいになっていたと言えるでしょう。p143
レムリア文明についての表現はさまざまあるが、ルイス・スペンスの著書にでてきたような表現をつかうとすると、マダム・ブラバッキーの神智学やシュタイナー的な見方のレムリアがここでは採用されているようだ。多火手が存在していた当時は、男性として存在していたのであり、むしろ左脳の方が発達していて、のちに右脳の開発に向かい、バランスをとったものだと思われる。
このレムリアの新たな文明は非常によく発達していきました。すべては素晴らしくうまくいっていました。しかし、レムリアの大半は沈んだのです。沈没の約1000年ほど前のこと、アイとタイアという名の男女がいました。この二人は少なくとも私たちの進化のサイクルでは誰もしたことがないようなことをしました。ある特定の愛する方法と呼吸方を行なうことにより、子供を授かるときに三人とも---母、父、子供のそれぞれが---不死になったのです。p145
アイとタニアは彼らの経験により、みずからが不老不死になったことを察していったのだと思います。時間が経つにつれてほかの人々は死んでゆくのに、二人は生き続けていたので、自分たちが本当に何かすごいものを手にしたことに気がつきはじめたのです。そこで彼らは、ついに学校を設立しました。私の知るかぎり、地球で今のサイクルにおける最初の神秘学派(ミステリー・スクール)の誕生です。それは神秘学派という意味の「ナーカル」あるいは「ナークル」という名で呼ばれ、簡単に言えば、タントラを通して復活あるいはアセンションをどう行なうかを教えていました。p145
レムリアが沈んだとき、彼らはまだ始めたばかりでした。お話しましたように、レムリアは女性的で、レムリア人たちはたいそうサイキックでした。したがって彼らは実際にそうなる前からレムリアが沈むことを知っていました。確実にその日がやって来るのがわかっており、それは議論の余地すらないことでした。ですから最後の時がやって来る前に、あらかじめ手はずを整えておきました。すべての美術品はチチカカ湖やシャスタ山その他の場所に移され、レムリアの偉大な黄金のディスクも持ち出されました。価値あるものはすべて国から運びだされ、最後の時に備えたのです。そしていよいよレムリアが没したとき、人々はすべに完全に島を離れていました。チチカカ湖から中央アメリカ、メキシコ、シャスタ山という北の果てまで移動し、そこで再び出直すことになったのです。p145
レムリアの不死の人々は、彼らの故郷を飛び立って、新たに隆起した大陸アトランティスの北に位置する小さな島に移動しました。彼らはウーダルと名づけたこの島で長いことまちつづけ、それから自分たちのスピリチュアルな科学を再び創造しはじめました。p149
この後につづくいわゆる著者のいうところの神聖幾何学の発達は大いに興味を引かれるところであるし、共感できるところも多い。すくなくとも、その萌芽(あるいはマスタープラン)がすでにレムリアに存在していたということを確認しておこう。レムリアにおいて、タントラが誕生し、ミステリー・スクールが始まった、という表現も共感し得る。
スピリットはいまや球の中にあることを念頭に置いてください。それらの指示とは、「新しく創造されたものへと移動」して、次に「最初とまったく同じ玉をもう一つ投射して作り出す」ことです。これは「現実(リアリティ)」を創造するために絶対確実な方法です。何をしようとも、間違えようがありません。新しく作られたものに移動して、最初の球と同じサイズの球を投射すればいいだけです。このシステムでは、虚空の中にこの球面のほかには何も存在せず、球の内側は外側と同じなので、新しいところ、あるいは別のところとは、球の表面である膜自体しかないことになります。p226
ここで開示されていることが正しい表現か、あるいはすべてが開示されているか、ということは、このブログではとくに問題にはならない。すくなくともこのような哲学(思索法・・)があるということの確認と、レムリアにおける立場の違いだ。右脳的なものと左脳的なもののバランスのとらえ方に、多火手とは若干の違いをもっているようだ。しかし、この段階ではその違いの距離を縮める必要はなさそうだ。違いは違いとして放置しておこう。
72聖師談のそれぞれが、ある一定の時間だけ存在しにきて、その後しばらく消えていなくなるという、サイン波のような生命パターンを持っています。彼らにも人体のようなバイオリズムがあるのです。たとえばバラ十字会員は100年ごとのサイクルで活動しています。彼らは文字通り地球上から消えていなくなるのです。それから100年たつと、また100年間機能するようになっています。
聖師団はそれぞれ異なったサイクルに従って、全員が一つの目的のために機能しています。その目的とは、この惑星にキリスト意識をよみがえらせ、失われてしまった女性的な意識面を設定しなおして惑星の脳の左右にバランスをもたらすことです。p253
私たちはこの古代の科学をようやく最近になって思い出しはじめたところですが、古くはエジプト、チベット、インドにおいて完全に理解されていたものです。ギリシャでも理解されていましたが、その後すっかり長いこと忘れ去られてしまい、イタリア・ルネッサンス期に思い出したと思ったら、すぐにまた忘れてしまいました。現代世界は「形」がどんな意味を持つのかをほとんど完全に忘れてしまっており、私たちはようやくそれを思い出しつつあるところなのです。p254
私たちあらゆる存在の全体的な基本構造はみな「ビー玉」で構成されています。つまり、いろいろなサイズの球ということです。私たちは地球という球の上にいて、球体が私たちのまわりを回転しています。大宇宙から小宇宙まで、宇宙全体はさまざまに小さな球が組み合わさって成り立っているのです。宇宙を貫く光の波動はすべて球状です。p256
<第二巻>につづく