「アトランティス」 超古代文明とクリスタル・ヒーリング フランク・アルパー 高柳司・訳 1994/6 コスモ・テン・パブリケーション 原書 EXPLORING ATLANTIS 1986
瞑想法であったり、哲学であったり、ヒーリングであったり、セラピーであったり、それぞれの立場の「売り」があるのであり、そこまで持っていくまで、いろいろな背景を利用するようだ。この本においては、アトランティスという大きなイメージを借りながら、本の大きな部分はクリスタルヒーリングが「売り」になっている。だがこのカテゴリでは、レムリアをキーワードで走っているので、その部分だけ、しかも、このブログと関連しそうなところだけフォローしておこう。
レムリア文明は二派に分かれており、両派はバランスを保っていた。一方は愛を表出し、もう一方は好戦的であった。両者の中にはミュータントがいて、両派の労働力になっていた。ミュータントは比較的知能が劣っていたが、大柄で強健な体は肉体労働に適しており、それが彼らの主要任務であり、存在理由となっていた。アメリカ合衆国建国初期の奴隷の状況といえば、およそ想像つくだろう。
この二派はかなり高度な発展をとげていた。愛情豊かな人々は、主として成長と知識の拡大に関心をもち、神への務めを遂行することに専念していた。好戦的な人々はパワーに関心をもち、きわめて高度に発達した精神をもっていたのにもかかわらず、その能力をきわめて破壊的に用いていた。ムーに転生した魂(ソウル)の多くは、この文明の両派での人生を体験していた。このことが、将来のパターンを決定する際、バランスをとっていくことを可能にしていた。p17
レムリアやムー、アトランティスなどと、後世において名づけられた限り、当時の文明はを明確に区分することはなかなかできない。しかし、ムーとレムリアを同質化するとするなら、ムーの乙女・多火手は、レムリアの火を祭る乙女・多火手と見ることも可能だろう。「フラワー・オブ・ライフ」の「ほとんどの人が右脳系で性質は女性的」であったという表現にできないわけではない。ただ、レムリア文明が「二派に分かれており」、一方は愛を表質し、もう一方は好戦的であった、という表現はいかがなものか。これでは善と悪がはっきりしすぎている。やはり右脳・左脳という区分けのほうが適切ではないかな。また二派というより、「二期」と言ったほうがよいのではないか、と思う。
アトランティスとレムリアの両文明が、同時に存在していた時期がある。これらの文明は、よく似た性質、目的をもっていた。一方は東、他方は西にあって、両者はあらゆるかかわり方において、バランスをとる表出となるはずであった。それぞれの文化を学んだり、表出方法を経験するため、魂は両方の文明に転生した。p371
この部分は納得できないわけではない。アストラル体としては同時に存在していて不思議はないし、「表出方法を経験するために、魂は両方の文明に転生した」というところもそれほど違和感はない。しかし、古代文明を二つに分けてしまって、「両方」としてしまうことは早計だろう。時間や空間をこえて、「あらゆるところ」に転生した、と言ったほうがより事実に即しているだろう。
アドルフ・ヒトラーとして地球に転生した魂は、レムリアの「長老」であった。そのころに、彼の人格は権力欲、支配欲の誘惑に負けたのである。すべての経験が学ばれるまでは、歴史はくりかえされる。この惑星で権力欲、貧欲さをネガティブに表出している人たちの大半は、過去に、そうした表出をしており、その波動を矯正していないのである。p371
ここで言わんとすることを理解しないではないが、すこし結論を急ぎすぎている。それほど紋切り型に「わかりやすく」語る必要はない。この本が英文ででた1986年という時代性も考慮しなくてはいけないかもしれない。チャネリングやアトランティスの紹介本はそれほど多くなかった時代であり、すこしデフォルメや手抜きがなかったとは言えないが、もしそのような評価が的を得ていたとしたら、この本は、もうすでに過去の本だ、ということになる。