
「ポスト・ヒューマン誕生」 コンピュータが人類の知性を超えるとき
レイ・カーツワイル 井上健・監訳 2007/1 NHK出版 原書 THE SINGULARITY IS NEAR : WHEN HUMANS TRNSCEND BIOLOGY 2005/9
当ブログでは「ネット社会と未来」・「シンギュラリティ」というカテゴリを中心として、人工知能AIのことも考えてきてみた。例によって、門外漢が図書館で立ち読み速読したところで、確たる証拠もないのだが、今のところは、印象としては、コンピュータが、トータルとして人間を超えることはない、という結論に達している。ただ「情報」とか「知性」とか「論理」とか「計算」とか限定した場合、現在でもすでに、人間にできないことをコンピュータがやり続けていることは事実だし、私はなによりもそれらの恩恵を受けることができることに、大きな感謝の気持ちを持っている。
しかし、人間より車が早く走れると言って、人間を超えているとは言わないように、コンピュータ(あるいはその周辺技術の統合)が限りなく発展していっても、ついには人間を超えることはないだろう、というのが私の結論だ。
かつて、炊事・洗濯・掃除は人間生活の大きな要素だった。それらを欠いては、人間生活をすることができなかった。しかし、現在ではかなり家電の力を借りて簡便になってきた。だが、人間には、まだすることがある。本を読んだり、歌を唄ったり、笑ったり。将来的にコンピュータは限りなく発達したとして、ついには人間には、その究極のなにかは残されるはずだ。
この本、日本語タイトルは「ポスト・ヒューマン誕生」となっているが、これは日本のマーケットを意識したためにこうなっただけであって、本書の趣旨を正確に反映したものではない。主テーマは「シンギュラリティ」だ。
原題を直訳すると、「特異点は近い---人類が生物を超越するとき」となるのだろう。邦訳版においては、この副題「人類が生物を超越するとき」という意味をはじめ、本書のさまざまな議論を含め「ポスト・ヒューマン誕生」という邦題にしたが、実際はこのあまり耳慣れない「特異点(シンギュラリティ)」という概念こそ、本書の基本テーマである。訳者「あとがきにかえて」594p
シンギュラリティはこのブログでの主テーマでもある。しかし、このブログでは、シンギュラリティをマルチチュードというカテゴリと対置して進行させている。その言葉やカテゴリの成り立ちは、正確にはわからないが、少なくともこのブログでは、とりあえず、それらの言葉を代用させてもらっている。
シンギュラリティの邦訳「特異点」も、あまりうまい訳語とはいえないのではないか。シンギュラリティという単語の中には、シングル、というニュアンスが含まれている。一つ、あるいは単独、自立という意味が込められているだろう。現在のところ、一個の人間の外界に存在している、ありとあらゆるものが、連携をとり、ネットワークとして機能し、それらが、まるで一つの存在としてその意義を持ち始めること、あるいはその地点が、シンギュラリティという言葉に込められた「願い」であろう。
それに対置されるのがマルチチュードという言葉だ。「ド」という限り人間や、独立した存在を表しているようだ。しかし、それは多様性を内在した人間の生き方のことを言う。共産主義者たちの革命運動の変遷の中にあらわれたカテゴリとも見ることができるが、人類がより新しい生き方を求めるときに、哲学や思想を現代的に表現するときには、この言葉が役にたつように私は思える。
シンギュラリティとマルチチュード、この二つの言葉は日本の中ではまだまだメジャーではなく、資料も極端にすくない。また、明瞭な説明もされていない。しかし、まだ手垢がつきすぎていないから、こちらの想いを託しやすいということもできる。
このふたつの言葉をならべて想いにふけるとなかなか面白いものがある。シンギュラリティは、限りなく深く、限りなく複雑で、限りなく多様性を含みながら、その概念の中に「シングル」を内在している。これはまるで、新しい生命を生み出す海、母胎、マトリックスを想像させる。
「地球上の生命はみんな海から生まれた。地球がすべての生物であるとすれば、海はその子宮である。」 ジャック・マイヨール
そして、ネグリ&ハートの作業は遅々としてゆっくりではあるが、その提示するマルチチュードという概念にも、とても魅惑的な香りがある。地球の上に、一人の人間として、自分の足で立っているイメージがありながら、その概念の中に「マルチ」多様性を含ませている。すべてを包含しながら、なお自らをクリスタライゼーションした存在、それがマルチチュード、なのかもしれない。
そして、私はこの二つのカテゴリを眺めながら、チベット密教のマントラ、オンマニペメフムを思い出すのである。シンギュラリティという海のような母胎マトリックスに包まれながら、なお結晶化した存在として起立するマルチチュード。それはまさに人間意識の最高頂点をかぎりなくひきよせて来るポイントなのかもしれない。
著者には「インテリジェント・マシーンの時代」、「スピリチュアル・マシーン」などがある。
オンマニペメフム
<2>へつづく