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カテゴリ:レムリア
![]() 「ガラス玉演戯」 <3> <2>より続く 内省的で一貫して清澄なヘッセのトーンは淡々と、そして熱く続く。この基調をなす文章は、雑多なヴァイブレーションにさらされながら、断片的にまた「ガラス玉演戯」という世界に帰る、私の日常生活のオアシスとさえなり始めている。その清涼な世界の中でも、中盤に差し掛かり、遂に変化の兆しが訪れている。 われわれの伝記の試みは、名人の生活が最後の数年間にとげた発展に、もっぱら目を注ぐべき点に到達した。その発展は、彼が職を離れ、州を去って、別の生活圏に移り、一生を閉じるところに及ぶのである。p244 友人に誘われて、晩春の山道を歩いてきた。護られた空間には、清浄な空気があった。小鳥達が歌い、木々が背伸びをしていた。森の中に隠された湖面は、あくまで穏やかで、周囲の木々の緑を色濃く映し出していた。道端を遮るように倒れ掛かった老木は、嵐でおれたものだろうか、それとも雷でも落ちたのだろうか。ちょっと古いものになると、道端に倒れたまま、幾年も経過した形跡が見られる。そこには、倒れたとか、折れたという悲しさよりも、大地から生まれ、大地に帰ろうとする、旅路の帰路にあるかのように見えた。悲しくもなく、涙もない。むしろ、雄々しく、静かで、美しささえ伴っている。先日、金華山でみた、毛皮に包まれたまま白骨化した鹿の姿を思い出した。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.11 16:45:53
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