「ガラス玉演戯」 <5> <4>より続く
老人も少年も学生も三人とも、
現世の幻の泡の中から
不思議な夢を作る。それ自体は無価値だが、
その中で、永遠の光がほほえみつつ、
みずからを知り、ひとしおたのしげに燃え立つ。
ヨーゼフ・クネヒトの遺稿から p386
奇しくもこのブログの777番目のエントリーは、「ガラス玉演戯」のしめくくりとなった。レムリアの古老、チベットの少年、チェロキーの青年、それぞれのフィギュアがすこしづつ生命を吹き込まれ、息を吹き返しつつあるかのようだ。それぞれが、幻の泡の中で、不思議な夢を見始めている。そして、その中で、すこしづつ炎が燃え出し、永遠の光を捜し求め始めている。
ガラス玉戯曲名人ヨーゼフ・クネヒトの思索を補完するかのように、この小説には巻末に「三つの履歴書」がついている。それぞれが独立したストーリーで、それぞれが一つの短編小説であるかのようだ。ながいながい思索と瞑想の一冊が終わった。この本は、いくつもの不思議な符号を持っている。ヘッセは1931年にこの小説を書き始めた。ヘッセはユングの弟子達の助けを借りながら精神の回復を図ったということである。
この長編は、紀元2400年頃の、カスターリエンという学芸の香り高い理想郷を舞台にしている。プラトンのアカデーメイア、あるいはゲーテの「遍歴時代」の教育州などが連想されるであろう。学問と芸術と瞑想とを三支柱とする聖職制度の州が想定されている。節度、調和、秩序、畏敬、全学芸の全分野の神秘的な結合などを基調としている点で、20世紀と反対な世界が考えられる。この州の精粋がガラス玉演戯である。それが何であるかは、明確にはされていない。それは象徴的な遊びであり、学芸、特に音楽と瞑想とを組み合わせた演戯である。p499訳者あとがき
そう遠くない日に、またこの本を読むことになるだろうが、ヘッセに感謝しつつ、一旦この本を閉じておく。
この項<完>
2007年版「ガラス玉遊戯」につづく