
「インターネットは『僕ら』を幸せにしたか?」情報化がもたらした「リスクヘッジ社会」の行方
森 健 2005/09 アスペクト 単行本 340p
★★★☆☆
ドッグイアーと言われるIT社会の進化スピードの中で、2年前の本について論評するのはフェアではないかもしれない。2年前の私といえば、数ヶ月の怒涛のようなSNS体験を通過して、この楽天ブログを登録したものの、何に使えばいいか、まったく思いつかない時代であった。
その私の「沈黙」は「ウェブ進化論」と遭遇することによって、破られてしまうのだが、思えば、「ウェブ進化論」に先立つところ半年、この本は内容もしっかりした取材をもとにしたハードカバー本なのに、比較としては必ずしもヒットした本とは言えなかったのではないだろうか。
まぁ、それはともかくとして、先立つ2001年の「人体改造の世紀」、そして本書のあとの、「グーグル・アマゾン化する社会」2006/9、そして「サイバージャーナリズム論」2007/7と読んでみると、やはり、著者独特のスタイルというものが見えてくる。
いまからこの本で語ろうと思っていることは、諸手を挙げて「この素晴らしき新世界」を讃えるものではない。むしろ加速的に技術が進歩していく世の末に、疑問を呈したり、懸念を呟いてみたりする、天の邪鬼な思考が柱になっている。p013
なるほど、天の邪鬼なのね。自分がそう自覚していて、なおかつ、意識的にそのスタイルをとっているというなら、それ以上の事は追求すまい。
勢いづいて一方向を目指すベクトルに対して、違和感を抱く自分がいる。元来裏返りがちな性格であるのは否定しないが、いま抱えている「居心地の悪い感覚」は、単純な懐疑心に基づいているわけではないように思う。p013
「裏返りがちな性格」とは、どういうものなのだろう。たとえば歌手が、歌を唄うときに、一定の調子が外れて、ハイトーンになってしまって、一貫性が失われるとか、なんとも滑稽な状況が生まれる、という意味でいいのだろうか。まぁ、そういう意味で自らを規定できているなら、私はもうそれ以上、なにも言うことはない。
そう自覚しているのなら、この人が追求すべきテーマは「遺伝子技術」や「インターネット社会論」なんかではない。なぜに「天の邪鬼」で「裏返ってしまう性格」なのか、よくよく自分を見つめることをお勧めする。時にはサイコセラピーも有効だろう。そして、瞑想体験を経たあとで、この著者があらためて、同じテーマについて書いてくれたら、もっとすっきりするものになるだろうと期待できる。
過剰に反応しすぎたかもしれないという自制の声が心の中で聞こえることもあったが、フラットに語るだけでは伝わらないという思いが結果的に筆圧を強めることになった。ここで記した懸念の数々が後年「大げさな杞憂でしたな」と笑われるのであれば、それに勝る喜びはない。p338
う~~~ん、この「あとがき」でも、まだまだ「天の邪鬼で裏返って」ますなぁ~。素直じゃないんだね。インターネットや遺伝子技術が「居心地が悪い」のなら、自分の「居心地のよい」ことから書き出したらいいんじゃないかな。
著者には、他に共著「賢い脳の作り方」「エアライン戦争」「裸のNTT」、そして「天才とはなにか?」「社長を出せ!ってまたきたか!」などなどがあるようだが、う~~ん、今後続けて読む気にはならないなぁ。
カウンセラーとして、いろいろな性格の人とお付き合いしてきたが、最近は、素直ですっきりしたストレートな性格の人と付き合っていたほうが「居心地がよい」と思うようになった。このような「確信犯」の人は、同じ仲間でつきあっていればいいのかなぁ・・・・。