「三位一体モデル TRINITY」 <1>
中沢新一 (著), ほぼ日刊イトイ新聞 (編集), 赤瀬川原平 (イラスト) 、2006/11 東京糸井重里事務所
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三つの要素を物事の基礎に位置づけるのは、中沢のいうようにもっともポピュラーなものはキリスト教の父と子と聖霊の三位一体モデルであるが、ごく自然に人々はその原理を応用していることは間違いない。
河合隼雄のように、科学--芸術--宗教、のトリニティはごく一般的だし、ケン・ウィルバーのビックスリーのような、私--私たち--それ、などのトリニティも興味深い。
このブログでも、科学--芸術、という底辺に対して、意識(コンシャスネス、あるいはスピリット)を付け足して、トリニティを構成してみているのだが、ときには、科学--芸術にプラスして、貨幣(マネー)をもってこようかな、と思うときも実はあった。つまりは図式的には、科学--芸術という底辺に対して、二つのトリニティができて、意識と貨幣が対峙しているようなモデルになってしまうのである。なんでかな、と思っていたのだが、この本で、その辺のあたりが、すこし溶解した。
まず「父」が、この世界に揺るがしがたい同一性を与えます。つぎに「子」が、それを私たちの世界につなげます。神と人間のあいだをつなぐ媒介のはたらきをするのです。それでは、「霊」はいったい何をしているのか。ひとことで言うと、これは、増えていくものをあらわす、つまり「増殖する」のです。こうして「霊」を組み込んだキリスト教は、「増殖」現象を、自分のなかに抱え込んでいくことになりました。このことが、イスラム教とキリスト教のあいだの、もっとも深いレベルでの対立をしめしています。p22
「父」が「子」を生み、そこに増殖する「霊」を組み込むという「三位一体」と、そうした考えかたをベースとするキリスト教とが、資本主義経済に増殖原理に、きわめて相性がよいということができると思います。
そして、以上のことから見えてくるのは、霊と同じく「貨幣」も、つねに実体と離れていく性質を持っている、ということです。実体から離れ、数字に還元されたものを操作するようになると、そこには、大地の実体感などまったく存在しなくなります。そして、大地から切り離されることによって、無鉄砲な方向へと発動してしまうわけです。p66
聖霊vs貨幣という、位置的に類似性がありながら、非和解的に対立しているかのように見えていた二つの存在が実は「増殖」という性質でつながっていて、本質的に同質だ、とするなら、このブログには、なかなかよい影響をあたえてくれるだろう。
仏--法--僧のトリニティもあるし、アガータ--彼--人々、というトリニティもありうる。スピリットや貨幣という象徴も、使い手たちによって様々な使われ方をしているので、字面だけでは等号記号で結べないが、互いのトリニティを比較することによって、何か共通するものがでてくる可能性もある。単純に、青--赤--黄、あるいは、遺伝学(Genetics)--ナノテクノロジー(Nano-technology)--そしてロボット工学(Robitics)、などなどの三つの言葉のセットを三位一体モデル(トリニティ)と呼ぶかどうかはともかくとして、この図式にとりあえず置き換えてみる価値はありそうだ。
<2>につづく