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テーマ:日々自然観察(9790)
カテゴリ:レムリア
「わが心の故郷 アルプス南麓の村」 ヘルマン・ヘッセ /フォルカー・ミヒェルス 1997/12 草思社 445p No.863★★★★★ 手元には、ヘッセの3冊の本が残された。レムリアという獏としたカテゴリは、この3冊で終了する。それでよかったかどうか、と考えてみると、うん、これしか方法はなかったのではないか、と思う。あるいは今思いつく最善の仕上がり方であったのではないか、と思う。 3冊が3冊とも、ヘッセの水彩画が挟まれている。詩人ヘッセの住む情景が、その詩情ゆたかな文章だけではなく、やわらかい光に包まれたかなりの量になる水彩画により、さらなるイメージの世界へと、読む者、見る者をいざなう。 その中にあっても、フォルカー・ミヒェルス編集のこの一冊は、想像以上に重い。ミドルティーンの時に読んだ「車輪の下」、青年時代に読んだ「シッダルタ」、インドの旅の中で読んだ「ガラス玉演戯」、そして、ふたたびこのブログでも読むことになったヘルマン・ヘッセ。 そのきっかけは、母の入院している病院の、土曜図書館サービスでみつけた「庭仕事の愉しみ」だった。へぇー、こんな本があるのか、と新鮮な驚きがあった。その後、その一連のミヒェルス編集本を読んでみて、この多作で寡黙で表現豊かな詩人の生涯にあらためて、目を引き付けられた。 「アルチェーニョ近傍で」 ここならば私はどんな道の曲がり角もよく知っている 私は古い隠者の山道を登って行く 内気な春雨が静かに降っている 冷たい風に吹かれて白樺の葉がちらちら光る 濡れた岩が茶色の鏡のように反射する・・・・ おお 岩よ おお 小道よ おお 風よ 白樺の葉よ なんとお前たちはしみじみと懐かしい魅力ある香りを放っていることか お前 清らかな土地よ お前の優美さは なんと内気に岩陰や荒々しい裂け目の陰に隠れていることか! まだ葉の出ていない赤みがかった森の中に 山桜がわれを忘れて咲いている ここは私の神聖な土地 ここで私は幾たびとなく 自分自身に立ち戻るこの静かな道を歩んだものだ それは寂しい深淵を象徴する道だった そして今日新たにその道を行く 別な気持ちをもって しかし昔ながらの目標をもって それは決して行きつくすことはない ここでは 私が数年前岩や金雀枝や日光の息吹や雨を含んだ風の中で 追いかけたさまざまな想念が蝶のように息づき続けている---- 受け入れてくれ 石よ 小川よ 白樺の谷よ 受け入れてくれ ひとつの開かれた心を おんみらの聖なる声にいそいそと感謝しつつ 身をゆだねることだけをひたすら願っているこの心を p50 詩をしたため、絵筆をもつ、という意味ではヘッセは、どこかでニコライ・レーリヒに通じている。レーリヒは、シャンバラを求めてチベットの地を旅し、行き着かないところにあるはずの楽園に思いを寄せる。ヘッセは、アルプスに住んで、自然にいだかれながら、どこまで行ってもいきつことのない内なる平安を求めてさまよう。 ここで私は最近、イェイツの「錬金術のバラ」を読んで、このすばらしい本が、このなかば異教的な神話でいっぱいの、非常に秘密に満ちて暗く燃え輝いているゲール人の世界の魅惑的な短篇集がもう終わりになってしまうのを残念に思った。p208 ヘッセとレーリヒはどこかでクロスしているはずだ。この本には「ガラス玉戯曲」の中に含まれる可能性のあった「あるティスィーンの履歴書」p375が、ひとつの独立した作品として収録されている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.30 22:39:44
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