
「大いなる挑戦-黄金の未来」 <1>
Osho 1988/1
No.871★★★☆☆
このブログもエントリーを約1000を数えるようになって、だんだんと方向性が見えてきた。見えてきた、というより、無理くり方向性をつけてしまおうというフォースを感じる、と言ったほうが正解か。このブログでは、そのつど、いくつかのカテゴリを立てて108まで書き進めて、さらに新しいカテゴリを作るという過程を続けてきた。
その中にあって、やはり、これは凄いや、と思える本はいくつもあり、それは便宜上、「ベスト本」として定期的にアップしてきた。2007年下半期分はまだアップしていないが、だいたいはもう出揃っている。このベスト本が、とりあえずの私の見ている現代社会の潮流を象徴的に現していることになる。
それに対して、<再読>したい本のリスト、というものも作っている。たまたま手にとって読んだり、苦手だけど敢えて読んでみたりしている本たちもあり、必ずしも、自分が好む本ではない場合もある。しかしながら、<再読>してみたいと思うほど魅力的なものであり、なかなか理解できないまでも、現在の自分に不足していたり、新しく何事かを与えてくれそうな本の流れということである。
そして、この「OSHO/gnu0.0.2」というカテゴリが始まった。スタート時点では、OSHOmmp/gnu0.0.2であった。しかし、mmpは以前のSNSにおけるコミュニティの名前を明記していたので、その名をとどめていたが、このカテゴリが終了するころには、このmmpはすっかりとれてしまうことはまちがいない。
そして、gnuはいわゆるフリーソフトウェアやオープンソースのよしみに習ったものであり、そのスピリットは大いに学びたいとしても、このブログはコンピュータのソフトウェアでないので、このgnuも取れていくことになるだろう。そのためにも、このカテゴリが進行する間に、おおいにそのgnuのスピリットを十分に吸収しておくことが必要となる。
逆に、このネーミングに加えなければならないワードがある。それはアガータだ。1986年に自分の夢にでてきた言葉であり、なんとかそこにつなげようと努力しているのだが、なかなかうまくいかない。そして最初は意味不明な語列だったが、どうやらアガルタという類似ワードがあることがわかった。しかし、それはきちんと規定された言葉でもなく、またここでいうところのアガータと同じであるか、というと、今のところ、なんの確証もない。
だから、このアガータを取りいれるとして、英語表記はagrtaとなるのだが、これでは英語でのアガルタになるので、判然としなくなる。aga-taとでも表記してみようか、とも思うが、いろいろなニュアンスを含むとして、agartaという表記を採用することはかならずしも拒むべきものでもない。
つまり、私は、いずれ、このカテゴリを重ねていくことによって、Agarta/Osho1.0,というところまで行ってみたいと、思っているようなのだ。なんだか誤解されまくってしまいそうなネーミングだが、まずは、単に、この個人メディアとしてのブログの、たんにカテゴリのひとつのネーミングとして考えれば、別にそのくらいの自由性があってもいいだろうと思う。
もちろん、ここで勝手にOshoというワードを使いまくっていいのか、という問題もでてくる。神経質な向きもあるだろう。しかし、と私は考える。もっともっと自由にめちゃくちゃに使われて、むちゃくちゃに論議や検討されてもいい言葉の1つとして、この言葉があるのではないか、と。
さて、このカテゴリでは、「OSHO/gnu0.0.2のための21冊」というものを便宜上あげてみた。この本たちとともに、このカテゴリはすすむはずだ。しかし、これでは、まだまだマトが絞りこまれていない。あえて、この21冊をさらに7冊に絞るとするととこうなる。
「21世紀の指導原理OSHO」
「現代社会とスピリチュアリティ」
「湧き出ずるロータス・スートラ」
「大いなる挑戦--黄金の未来」
「和尚の超宗教的世界」
「存在することのシンプルな感覚」
「My Life in Orange」
この7冊さえあれば、とりあえず、このOSHO/gnu0.0.2の108のエントリーを続けることは可能だろう。しかし、さらに敢えて絞り込むとするなら、次の3冊になる。
「現代社会とスピリチュアリティ」
「湧き出ずるロータス・スートラ」
「大いなる挑戦--黄金の未来」
ここが、個人的な集約点だ。「湧き出ずるロータス・スートラ」は私個人の文章だから、ここにこだわらざるを得ないのはしかたない。この文章の続編として、このブログがあるのだから。そして「現代社会とスピリチュアリティ」に見られる宗教社会学的視点でOshoやAgartaを見つめなおしたい、というのが、一番原点の部分だ。そして、最後の最後にたった一冊にしぼりこんでみたら、といわれたら、この一冊になるだろう。
「大いなる挑戦--黄金の未来」
でも本当は、これを最後の一冊に選ぶのなら、むしろ「新人類」のほうがいいじゃないか、と思わないわけでもない。甲乙つけがたい。この二冊はすでに一般的に社会を書物としては流通していない。あえて、このブログでは公立図書館で簡単に読める本を中心に選んできたのだが、結果としては、残ったこれらの本や文献はその要素を備えてはいない。そんな中ではあるが、「大いなる挑戦--黄金の未来」は、ネットで全文を読める。
OSHOのサイトでは、第一部、第二部、第三部、と、なにかの宣言のごとく、大事に掲示されている。各言語では、このへんの品揃えはまちまちのようだが、なにはともあれこの辺から入り口をみつけていくしかない。もちろん、この最後に残った一冊を教条的に鵜呑みにするわけにはいかない。あえて自分なりに吟味してみようというのが、このブログでの趣旨だ。
つまり、ここまで見てみると、「ベスト本」は大地であり、そこに種子として蒔かれようとしているのが、「OSHO/gnu0.0.2」という種であり、肥料となるべく準備されているのが<再読>本たちと、言えるかも知れない。堅くなって片意地はる気もないので、まずは、気軽な気持ちで始めてみようじゃないか。じゃぁないと、こんなちっぽけなブログとはいえ、長続きはしないよ。
<2>につづく