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テーマ:韓国!(16887)
カテゴリ:チェロキー
小田実の奥さんだったとは知らなかった。二人は74年に出会い、82年に結婚している。コーリアンだ。二人は互いを「人生の同行者」(フェロー・トラベラー)として認め合っている。小田はこの本の巻末に一文を寄せている。その文が書かれたのが今年の6月で出版されたのが8月8日付け。そして、小田は7月30日に亡くなった。ほとんど絶筆と言っていいであろう。 同じ祖国論なら、辻井喬なんぞより、はるかにこちらが面白い。同じ刺されるにしても、こちらで刺されるほうが痛い。身構えようにも身構えようながない。ほぼ無防備のまま、やられるままにならざるを得ない。ヒョン・スンヒェは小田実のことを「ギリシャ人ゾルバに似た男」p50と評している。 「私たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのか」を問い続け、ここまで書き綴ってきて今思うことは、「人はどのような生まれであっても、あらゆる可能性を秘めている」ということだ。 コーリアンとしての強いアイディンティティを持ちながら、そして地球の各地で暮らしながら、ヒョン・スンヒェは上のような結論に達する。「私の祖国は世界です」。その意味での祖国には、多いに賛成する。本来そうでなければならない。 「私は何者か」という問いをめぐって私が見つけ出した答えは、「人生の痕跡を抱きしめながら自由でいる個人。つまり世界人である」だった。 まったくそのとおりだと思う。同感。この言葉がこの本の結句である。最近、「思う」とか「だそうだ」という文末が、エクスキューズのように思えて、自信がなさげだ、という意見があることがわかった。私は謙譲の美徳としての表現として好ましく思っていたが、今後はなるべく減らしていこう。では、引用ではなく、自分の言葉として繰り返しておく。 「私と祖国、紛争にまみれた世界の不幸な過去と現在を克服する道は、ひとりの個人が堂々とまっとうな市民として生きていくことなのだ。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.17 20:14:18
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