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テーマ:旅のあれこれ(10367)
Oshoをどう捉えるかは、それぞれにまかされていることであり、個人的な内面で処理される分には、どのような解釈をしてもまったくの自由であり、あらゆる解釈や受け止め方の可能性があっていいはずだ。だから自分は自分なりに自由に解釈させてもらうし、敢えてその内容を表明する必要も特段感じるものではない。 しかしながら、自分はこう感じているのだが、他の人はどう思っているのだろうという関心がないわけでもない。わずかづつでも互いの心象を分かち合いながら、その人と共感する部分が大きいと感じることができた時の喜びは相当に大きいものになる。もちろん、意見が大きく違う時は、敢えて互いの距離を縮めず、それぞれの立ち位置を了解するにとどめる場合も多い。 ジャーナリスティックに、科学的に、神秘的に、それぞれの理解のしかたがあるのだろう。 この本は、Oshoを、特に、アメリカにおける彼と彼をとりまくコミューンでの出来事や周囲の人間達の動きを、飽くまでジャーナリステッィクな姿勢をどこまでもくずざすに紹介している。時には神秘的なエピソードを客観的に紹介しながら、時には科学的な根拠をもとに、中立的な立場のバランスとりながら、ただひとつの「真理」を求めようとする。 この本はもともとジャーナリストの手になるもので、英語版は1993年に出版されている。中立的立場といえ、あまりにひどい一方的なメディアや既得権力者たちからの報道の中で、より冷静で理知的な取材を基にした本書は、貴重な資料としての存在感を示す一冊だった。当然のごとく日本語に翻訳が始められたが、例によって1995年に起きた事件により、日本においては更なる誤解を生む可能性があったので、出版はそれからさらに10年の年月が必要であったということである。
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Last updated
2007.12.18 21:16:35
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