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2009年4月1日

地球人スピリット
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へ引越しました。

2008.01.13
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カテゴリ:スピノザ


「反哲学入門」
木田元 2007/12 新潮社 単行本 237p
No.936
★★★★★

 屋を戦後やっていたという1928年生まれの哲学者。「闇屋になりそこねた哲学者」「反哲学史」などの著書がある。ハイデガーを10代で読んで以来、哲学に取り付かれたという著者、この本の巻末はハイデガーで締めくくられる。

 このブログは、哲学全般を理解することも、特定の哲学者の思想を理解するこことも目的ではない。グローバルなネットワーク社会が、人間の意識にどのような変革をもたらし、生態系をも含む地球全体がどうあるべきかを探求しよう、というのがとっかかりだった。キーワードはマルチチュード。その語源を知るためにスピノザへと降りてきている。

 分の死をどう考えるかは、哲学上の大問題です。p15

 哲学とはなにか、という二重三重の謎解き問答の迷宮にはまっていきそうだが、人間としての根本的な疑念とは、だいたいこの辺が始まりであり、この辺が最終地点なはずだ。基本的には、それほど複雑な話ではないはずだ。

 本でも、禅の高僧が悟りを開いて、「生死一如」の境地で生きるなどとよく言います。しかし、どこまで信用していいのかは疑わしいですね。仏教の悟りの境地は、生と死を一緒いとられて生きることでしょうが、そうしたことが人間にとって可能なことなのかどうか。それに哲学的な知は宗教的な悟りとはやはり違うように思います。p16

 宗教的な悟りについては、別に日本だけの理解ではないのだが、この著者においては、その西洋哲学的な思索に反して、こちらについての記述はほとんどない。この本自体、「わかりにくい」哲学をわかりやすく説いてくれている、という意味では大成功していると思うので、「悟り」についての言及については、多くは望まない。しかし、当ブログは、その辺に強い関心をもっているのは事実だ。

 「哲学」といっても、ソクラテス/プラトンあたりからヘーゲルあたりまでのいわゆる超自然的思考としての「哲学」と、ソクラテス以前の自然的思考や、そしてそれを復権することによって「哲学」を批判し解体しようと企てるニーチェ以降の「反哲学」とは区別して考える必要があります。それを一緒くたにして考えようとするから、なにがなんだか分らなくなる。p23

 その道の教授にズバリこう言っていただくと、とても分りやすい。つまりはプラトンとニーチェをとにかく捉えておけばいいのであり、ある対称軸を引いてみれば、その二つはまさに反対のことを言っている、というのである。さて、われらがスピノザは、というとニーチェ以前の歴史の中にあるのだが、プラトンからは遠くへだったっていて、なおかつ、ニーチェの登場の下ごしらえをしていた、という位置になるのであろうか。

 もともと「哲学」という言葉自体が、西周(にしあまね)による明らかな誤訳なんです。p31

 本最初の本格的な西洋哲学研究者だった西周は、江戸時代に「萬書調所」で日本最初の講義をしたときにには、phirosophyを「希哲学」と訳しています。ソクラテスが何を考えていたのかをしっかり認識した上で、「知を愛する」営みを、宋代の儒家・周敦頤(しゅうとんい)が「通書」のなかで「士希賢」(士は賢を希う)と言っている「希賢」と同じだろうと説いています。ただ「希賢」という言葉は儒教臭が強すぎるので「賢」とほとんど同義の「哲」をあてるのがよいだろうと言って、「希哲学」としているのですが、philein=希、sophia=
哲と考えるならば、ちゃんとした翻訳になっています。
 しかし、明治になって執筆した「百一新論」では、その訳語がなぜか「希」の字を削られて「哲学」になっています。ソクラテスにとってもっとも重要だった「愛」の部分が消えてしまっているんですね。なぜ西周が「希」を削ったのか、事情は分りませんが、「哲学」としたのでは肝腎な部分がすっぽりと抜けてしまったことになります。
p33

 なるほど。このように紐とかれると、とてもわかりやすい。やはりそうであったか。

 本には、フィロソフィアに対応する言葉はありません。ヨーロッパでも事情は同じで、ラテン語でさえ基本的にはギリシャ語の音を移しているだけです。ヘーゲルではないけれど、もし生活に本当に必要なものだったら、どの言語にもこれに当たる自前の言葉があっていいはずでしょう。欧米の場合は、日本のように誤訳ではないまでも、ギリシア語の音を自分流の表記の仕方で移しているだけですから、考えてみればこれはこれで妙な話です。p34

 哲学は「生活に本当に必要なもの」ではない、という達観もすばらしい。だが、もし言語がないから、「不要」だとするなら、西洋においては「悟り」という言葉に対応する言葉もないだろう。

 弟といっても、ソクラテスとプラトンとは、はっきり違います。プラトンの方は、前にも話したように、超自然的原理を設定し、それを参照しながらすべてのものを見てゆくという、まったく新しい特殊なものの見方、考え方を積極的に形成するのですが、ソクラテスには、そんなふうに積極的に示すことのできるようなものはなにもありません。p65

 「ソクラテスは極めつきの皮肉屋、というぐらいに考えていた方がいい」と喝破する著者の語り口についつい引きつりこまれる。

 「存在とはなにか」などと大上段に構えると、まるで禅の偈(げ)の「本来無一物」みたいに、宗教的な境地をもとめているように聞こえて、困惑する人も多いでしょう。しかし、これはそんなに神秘的な答えを求めようという問いではなく、「ある」ということはたとえば「つくられてある」という意味なのか、「なりいでてある」という意味なのかを問おうとするものなのです。p41

 いえいえ、禅の宗教的な境地やらと同じく、「意味を問おう」とする道も、ただごとではない。

 治初期に西洋哲学が輸入されたとき、この言葉も入ってきたのですが、その輸入に尽力した人たちはこの言葉を素直に「超自然学」とは訳さず、「形而上学」というむずかしい言葉を造ってこれを訳語にしました。「易経」にある繋辞伝にある「形而上者、謂之道、形而下者、謂之器」(形より上なるもの、これを道と謂い、形より下なるもの、これを器と謂う)という有名な一説にある「形而上」ちう言葉がmetaphysicaと同義だと思われたのでしょう。中村正直か井上哲次郎かの造語だと推測されていますが、日本ではそのまま、この妙な訳語が定着してしまったのです。p82

 次から次と、無学な私にとっては初めて聞くような哲学にまつわる話なので、痛快な感じがする。なるほど、と目から鱗が落ちる思い。

 17世紀から18世紀にかけて、世界の存在構造についての独断的な理論を繰り広げるいわゆる「理性主義的形而上学」の体形が次から次につくられました。新カント派系統の哲学史では、島国イギリスに対して、フランス、オランダ、ドイツなどヨーロッパ大陸の哲学者、たとえばフランスのデカルト、マルブランシュ、オランダのスピノザ(1632~77)、ドイツノライプニッツ(1646~1716)などの哲学体系がこの名で呼ばれていました。スピノザやライプニッツの哲学を単なる理性主義で片づけることはできないと思いますが、この人たちが、自分が経験したかぎりだいたいそうだったという、単なる蓋然的真理性しかもたない経験的認識より、普遍性と客観的妥当性をもつ理性認識を重視したとは言えそうです。p142

 ようやくスピノザの名前を発見してホッとした。このような文脈でスピノザを見ると、なるほどと納得できるところがある。

 代の哲学書の文体はカントのあたりで大きく変わります。それはなぜでしょうか。
 近代哲学を担う哲学者の職業が変わるからです。カント以前の近代の哲学者に大学の先生はほとんどいませんでした。デカルト、マルブランシュ、スピノザ、ライプニッツといった17世紀の大陸系の哲学者も、ルソー(1712~78)やヴォルテールやディドロら18世紀フランスの啓蒙の哲学者も、ロック、バークリ、ヒュームといったイギリスの哲学者も、みな在野の知識人だったり、政治家だったり、外交官だったり、せいぜい僧侶でしたので、本を書くときも一般の知識人を読者に想定し、平明な文章で書くのが常でした。あまり特別な専門用語も使われませんでした。
p151

 なるほど、そうだったのか。そういう背景がわかってくると、なんだか哲学というものが少しだけ身近なものに感じてしまうのだから、不思議。







Last updated  2008.10.05 08:30:08
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