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カテゴリ:チェロキー
会場は国際センターとして、コケラ落としのイベントであり、会議場も最新の同時通訳設備が自慢だった。二階の金魚鉢の中には、旧友のLオンのグループが後からみんなに絶賛されたほどの素晴らしい同時通訳を続けていた。会場にもガイジンが多くいた。観客には無線のヘッドホンが提供され、翻訳放送が容易に聞くことができるようになっていたのだ。 スタッフの私は、ガイジンを見つけると走りよって、この無線翻訳ヘッドホンを配り続けていた。会場の観客席にニコルを見つけたときも、私は彼のもとに駆け寄った。私がこのシステムを手渡そうとすると、彼は「大丈夫」と言って、受け取りを断った。その時、ああ、この人物は日本語が理解できるのだな、と思った。自慢の最新システムを断られたのはちょっと残念だったが、彼にしても「ガイジン」と見られたのは、ちょっと不快であっただろう。 この本は、実際に長期間、調査捕鯨船に乗って体験したことを、彼自身の言葉で書いている。小説とノンフィクションの間あたりの文体だろうか。小説とするにはあまりに事実に即しすぎているし、ノンフィクションというには、あまりに自己撞着しすぎていて、時系列もバラバラで、ちょっと読みにくい。あるいは、この辺は小説嫌いの私の偏見かも知れない。 ただ、クジラ捕りの立場からのレポートを他に読んだことがないので、そういう意味では貴重なレポートであるだろうし、彼もまた貴重な書き手であることは間違いない。彼には他に「勇魚(いさな)」というクジラをテーマとした小説があるらしい。確かに、日本人の中においても、捕鯨問題についての意見は必ずしも一枚板ではない。現在ではさまざまな意見が表明されている。その中で、積極的にクジラ捕りたちに身を摺り寄せる「ガイジン」は珍しいといえるだろう。いや日本人だって、こうはできない。 そんなクジラ捕りが自らの体験について重い口を開くときは、たいてい他愛もない話しがきっかけだ。彼らの話を聞くうちに、ぼくは相手の軽口にうまく歩調を合わせ、冗談や質問をはさむコツを学んだ。時々は、わざと話に割って入り、話し手がひと息つけるよう気を配ることも欠かせなかった。その胸の内には、まだまだおもしろい話しが眠っているにちがいない。話しを聞きだすタイミングとしては、お茶やコーヒーを飲んでいるときがいちばんだ。くつろいだ雰囲気の中だと、皆、かまえずに話しをしてくれる。無論、酒が入れば口の動きはさらに滑らかになるが、根が照れ屋の男たちだけに、ついつい景気づけが過ぎてしまい、肝心の話が始まるころにはすっかり酔いが廻っている。結局、まともな話を聞けずに終わることも少なくなかった。p135 捕鯨問題について被害者意識のつよい日本人にとっては、外国は一枚板のように見えて、対話の糸口をつかみきれないところもあるが、C・Wニコルの一連の活動や著書は、よいきっかけづくりになってくれる。 妙な話だが、グリーンピースとはだいぶ前に和解した。少なくとも、グリーンピース・ジャパンとは友好関係にある。捕鯨や人間の食用として海洋哺乳類を捕獲することの是非など、全面的に合意するのは難しいとしても、その他の人類が直面する環境問題において、われわれは多くの点で意見を同じくしているからだ。p234 二十一世紀を迎えた今、クジラにとって最大の脅威は、もはや捕鯨船ではない。それは化学物質による汚染や騒音公害、地球温暖化などのもたらす環境破壊だ。地球上で、はるか昔から紡がれてきた「命の曼荼羅」が今、崩壊しようとしている。その点については、このウェールズ系日本人(作者は、1995年に日本国籍を取得した)も、グリーンピースやフレンズ・オブ・アースを初めとする多くの環境保護団体も、全く同意見だ。p234 当ブログも同意見だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.20 10:51:41
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