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テーマ:旅のあれこれ(9938)
カテゴリ:チェロキー
1995~6年にける事件に関する記事を「週刊プレイボーイ」に連載していた著者は、ある出来事をきっかけとして連載を中断した。それは、麻原の兄との対談だった。その兄もなくなり、麻原の刑も確定したところで、守秘義務はとりあえずなくなっただろうという判断のもとに明かされる「秘話」である。 本著は、事件だけにとどまらずに、著者自身の人生における旅におけるエピソードの数々を紹介している。それはおもにインド・ネパールやヒマラヤにおいてのことだ。著者はベビーブーマーや団塊の世代のすこし上の年代にあたる。立場としては、宮内勝典と同じく、すこし兄貴風を吹かせるところがある。いい感性をもっているのに説教臭くて、どこか簡単に事実誤認をする宮内はあまり好きにはなれない。だが、藤原に関しては、兄貴分ではあるが、旅の同輩としてこちらをみてくれるだけに、逆に、甘えを許されないような威厳を感じる。ある意味、怖い。 カトリックかニューエイジか、などという不毛の論争には無縁の人だが、どちらかいえば、ニューエイジの源流に位置する人物である。あるいは、比喩的な意味合いにおいてだが、伽藍とバザール、という対比を使えば、まさにバザールを象徴するようなお人柄であろう。いやもっとうまい表現があるはずだが、浮かばない。藤原新也には「藤原新也」という独立したカテゴリが必要だ。「インド放浪」以来、藤原ガンジスはとうとうと流れ続けている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.20 14:01:50
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