
<3>よりつづく
「私が愛した本」 OSHO <4>
ウィトゲンシュタインについては、Oshoは3冊とりあげている。G・E・ムーアやバートランド・ラッセルのような大哲学者たちも、自分たちよりはるかに優れていると認めている、という。「論理学論考」について、こう言っている。
ルードウィッヒ・ウィトゲンシュタインは本当に愛すべき男だった。私は彼が嫌いではないし好きでもなくもない。私はこの男が好きだ。そして愛してもいる。だがその本ではない。彼の本は体操にすぎない。何ページも何ページも読んだ後でほんのときたま輝かしい一文に出会うことがあるというに過ぎない。たとえば、「言いえないことは言うべきではない。それについては口をつぐむべきだ」というような文章だ。さて、これは素晴らしい言明(ことば)だ。聖者も、神秘家も、詩人も、この文章からたくさんのことを学ぶことができる。「言いえないことは言ってはならない」と、ウィトゲンシュタインは数学的なやり方で、段落すら使わず短い文章で書く。経文だ。しかしきわめて進んだレベルの狂人にとっては、この本は大変な助けになりうる。これはその人間の頭だけではなくまさに魂を打つことがある。ちょうど釘のように、人間の存在(ビーイング)そのものを貫きうる。彼を悪夢から呼びさますかも知れない。p140
ウィトゲンシュタインの「論理学論考」は「論考」と言われるが、「哲学探究」は「探求」と略称される。
それは、ルードウィッヒ・ウィトゲンシュタインによって書かれた本だ---実際は本として書かれたものではなく、またしても手記として書かれた。それは「哲学探究」として死後に出版された。それは人間(マン)の、あらゆる広範な問題についての、実に洞察的な研究だ。もちろん女性も含まれているがね。さもなければなければどこから男(マン)が広範な問題など見つけられるかね? 男性の真の問題は、女性だ。p206
この著、ルードウィッヒ・ウィトゲンシュタインによる「哲学探究」を、その明晰性、透明性、その非のうちどころのない合理性を私は愛してきた。私は何から何まで気に入った。そして私は、道を歩む者誰もが、これを通り抜けるといいと思う・・・・p206
そして、もう一冊が追加される。
ルードウィッヒ・ウィトゲンシュタインのもう一冊の本だ。彼もまた私の恋愛のひとつだ。その本の名前は「哲学的考察」だ。これは本ではない。むしろ時を異にして書かれた文章を集めたものだ。それぞれの論文がすばらしい。ウィトゲンシュタインが書けば、それ以外にありようがない。彼には、非論理的にはならずに美を生み出す能力と、また散文で詩を書く能力があった。彼は一度も自分を詩人と考えたことはなかったと思うが、私は彼が第一級の詩人であると宣言する。彼はカリダス、シェークスピア、ミルトン、ゲーテと同じ範疇の人だ。p222
いつも哲学者たちを笑いものにしてしまいがちなOshoだが、ウィトゲンシュタインをここまで言っていたということに今回初めて気がついた。
<5>につづく