
<4>よりつづく
「私が愛した本」 OSHO <5>
古代ギリシャ哲学者たちに対してOshoはどう言っているのだろう。
私はプラトンの「ソクラテスの弁明に触れなかった。私が忘れたのは、多分プラトンのためだろう。プラトンは言及するに値しない。彼はただの哲学者だった。だが彼の「ソクラテスの弁明とその死」はどんなに賞賛しても賞賛しすぎることはない。これは入れるべきだ。p18
そしてピタゴラス。
ピタゴラスの「金言詩」だ。彼は明らかに最も誤解された人間のひとりだった。知るにいたれば、誤解されずにはいない。それは確かだ。理解することは非常に危険だ。そうなったら、誤解されることになるからだ。ピタゴラスは自分の弟子にさえ理解されなかった。この「金言詩」の筆記者でさえだ。彼らはそれを機械的に書いた。なぜならピタゴラスの弟子は、ただのひとりも彼の高みにまで上がらなかったからだ。ただのひとりも光明を得た者はいなかった。そしてギリシャ人は完全に彼を無視した。彼らは自分たちの中で最上のものを無視した。ヘラクレイトスを、ソクラテスを、ピタゴラスを、プロティノスを。p44
ヘラクレイトスやプロティノスについては、名前だけで、本という形では紹介していない。
彼らはソクラテスも無視したかったのだが、彼は度を越していた。だから彼らは、ソクラテスを毒殺しなければならなかった。ただ無視することはできなかった。しかしピタゴラスは完全にむしされている。そして彼は、ゴータマ・ブッタやイエス、その他あらゆる光明を得た人と同じ鍵を持っている。もうひとつ言うなら、イエスも仏陀も老子も、その鍵を見つけるためにピタゴラスほどの努力はしなかった。彼はいちばん努力をした。ピタゴラスこそ最も真摯な求道者だった。彼は何もかもすべてを賭けた。彼は当時知られていた世界をすべて旅した。あらゆる類の導師(マスター)の許で学び、あらゆる種類のミステリースクールに入り、それぞれの師の条件を満たした。彼は彼自身でひとつの範疇(カテゴリー)だ。p44
ピタゴラスについては、Osho講話「永久の哲学」などがある。そしてアリストレス。
私はアリストテレスの敵だ。私はこの男を「アリストテレス症」と呼ぶ。一種の癒し難い病気だ。p236
アリストテレスは西洋の哲学と論理学の父と考えられている・・・確かにそうだ。だがそれは哲学と論理学のことだけで、本物の父ではない。本物はソクラテス、ピタゴラス、プロティノス、ディオゲネス、ディオニシウスから来る、アリストテレスからではない。だが不思議なことに、彼は美しい本を書いた---しかもそれは、アリストテレス学派の者たちによっては研究されてはいない---「詩学」だ。私はこれを、彼のたくさんの本の中から探さなければならなかった。私はただ、この男の中にも何か美しいもの発見できるのかどうかを確かめていた。そしてこのほんの数ページの本「詩学」を発見したときには、私はぞくっとした・・・この男にもハートがあった。他のものはすべて頭で書いたが、この本はハートからのものだった。もちろんそれは詩の、詩学のエッセンスについてのものだ。そして詩のエッセンスとは、愛のエッセンス以外のものではありえない。それこそ香りだ。知性のではなく、直観の香りだ。私はこの本を推薦する。p237
この本においての古代ギリシャ哲学者たちについては、だいたいこんなところでまとまっている。
<6>につづく