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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2008.01.26
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カテゴリ:OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2

<5>よりつづく

「私が愛した本」 OSHO <6>


 ジャン・ポール・サルトルの「存在と無」だ。まず言っておかなければならないのは、私はこの男が好きではないということだ。私が嫌いなのは、この男が衒学者(スノッブ)だからだ。彼は今世紀で最も衒学的な人間のひとりだ。私が彼を衒学者と呼ぶのは、実存的であるということの意味をまったく知りもせずに、彼が実存主義の指導者になったからだ。ただ、この本はいい。私の弟子たちにとってではなく、ちょっとばかり狂った人間にとってはだ。ほんのちょっとだがね。この本は読みにくい。
 この本はちょっとばかり狂っている人間を正気に戻す。その意味では大した仕事だ---薬効がある。
p136

 ジャン・ポール・サルトルが代表している実存主義はまがいものだ。瞑想については何ひとつ知らないのに、彼は「存在」(ビーイング)について語り、「無」について語っている。ああ、それはふたつのものではない。p137

 だがジャン・ポール・サルトルは、私は好きではない---ただ好きでないだけだ。嫌いですらない。嫌いというのは強い言葉だからね。p137

 ジャン・ポール・サルトルは、実存について何ひとつ知らないが、たわ言を書いた。哲学的なたわ言、頭の体操だ。それも本当の体操だ。もし「存在と無」の十ページを読むことができたら。人は正気になるか、狂うかのどちらかだ。とにかく、この本の十ページを読むのはむずかしい仕事だ。教授だったとき、私はたくさんの生徒にこの本を与えたが、ひとりもそれを読み終えた者はいない。十ページすら読めたものはいない。一ページでも多過ぎた。実際は一段落でも多すぎるくらいだ。何が何だか分るものではない。ところがそれが千ページ以上もある。これは大冊だ。p137

 この男が好きでないのに、追補の中でこれを思い出したのは、・・・私が嫌いなのは哲学の方かもしれない・・・・。そうだ、それを哲学と呼ぼう、本人はそれを反哲学と読んでもらいたがっていたが。私がそれを反哲学と呼べない理由は簡単だ。あらゆる反哲学は、結局はもうひとつの哲学にすぎないことを、自ら証明することになるからだ。存在は、哲学的でもなければ、反哲学的でもない・・・それは、ただ在る。p138

 私がこの本を含めたのは、彼のやった仕事が大変なものだからだ。これはかつて書かれたものの中で、大変は手腕と大変な論理を駆使して書かれた最も記念碑的な書物のひとつだ。しかもなお、本人のごく普通の、ひとりの共産主義者にすぎない---それが私が彼を好きではないもうひとつの理由だが。存在を知っている人間は、共産主義者などにはなりえない。平等などありえないことを知ることになるからだ。不平等こそがものごとのありようだ。何ひとつ平等ではないし、また平等ではありえない。平等とは夢にすぎない。愚か者たちの夢だ。存在とは、多面的な不平等性だ。p138

 Oshoにとっては、哲学というものは、すでに狂っている人間のためのもののようだ。時には狂った人間を正気に戻すこともできる。しかし、それ以上のものではない。哲学だろうが、反哲学だろうが、同じコインの裏表だ。いや裏表でもない。「反」哲学という哲学でしかない。

 通常に哲学の流れにあるように思われている哲学者たちも、Oshoにとっては、哲学者ではなく、別な名前で呼ばれるべき存在があるようだ。それは詩人とか、神秘家とか、光明を得た者とか呼ばれる。ポイントはその光明のほうにあって、共産主義の平等などはたわげた夢ということになる。

 私は「平等」という言葉は好きだ。上でもなく下でも、同じ地平に立って手を取り合う、というイメージは、むしろ根本的な基本とも言える。Oshoの言説は、常に一様ということではなく、時と場合によっては大きくニュアンスが変わることがある。だからまだ平等という言葉のもっている可能性については、私はそっと自分の胸に抱いておく。

 しかし、マルキストのネグリたちが<帝国>とマルチチュードを対峙するような形での「平等」主義については、Oshoにとっては収まりの悪いものとなろう。あるいは、むしろOshoの見方のほうに分があって、共産主義国家の低迷やその運動などが限りなく下火になっている事実を考えると、やはり、このまま共産主義はかぎりなくフェードアウトしていくことになるのだろうか。

<7>につづく






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Last updated  2008.01.27 09:45:51
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