
「ゴールデン・チャイルドフッド」―光輝の年代 和尚幼年期を語る
Osho スワミ パリトーショ 訳 単行本: 829ページ 1989/3 和尚エンタープライズジャパン
No.969★★★★★
そういう眼でぱらぱらとこの本を見直してみれば、確かに約10箇所程度にOshoのキャンパスライフが描かれている。しかし、文体も描写されている風景もまちまちで、どのように引用したらよいか、ちょっと悩む。
この本はさまざまな読まれ方をするだろう。
陽気な冒険活劇として講談本のように楽しむこともできるだろうし、宇宙的配慮を背にして実現した、ある神秘の深みの、開示の物語として読むことも可能だろう。あるいはまた、究極の教育論としてさえ読み解くことができるかもしれない。
どんなふうに読まれても問題はない。p825(訳者あとがき)
またしてもこの本の訳者はパリトーショだが、はてさて「ご自由にどうぞ」と言われても、なかなか自由に振舞えないのも困ったものだ。それでは、ここはこちらがわの都合で読ませていただこう。
1)Oshoの大学キャンパスライフはどんなものだったのか。
2)なぜ、哲学を学んだのか。
3)なぜ、哲学教授を仕事としたのか。あるいはなぜ辞職したのか。
4)Oshoは、哲学者たちの息の根をとめたのか(ウィトゲンシュタインは、いちどそのことに成功した、という評価もちらほらある)。
5)そして、そのまっただ中にあった1953年3月21日との関連とは。
ひさしぶりにこの本をめくって、おどろくことはたくさんある。実は、歯科椅子シリーズは三作ではなくて、四作あったということp5「序」。あるいは、700年前のチベットでOshoを殺した男が、またやってきたことp21などなど・・・・。あちこち尾ひれはひれがついてくる。
しかし、ここはグッとこらえて、なぜに西洋哲学史の中にOshoは組み込まれ得ないのか、あるいは、なぜOshoは西洋哲学をジョークの種にしてしまうのか。この辺あたりが、一番の眼目といえる。上のテーマで言ったら、4)あたりであろうか。
<2>につづく