
「戦国武将を育てた禅僧たち」
小和田哲男 2007/10 新潮社 全集・双書 221p
No.1014★★★☆☆
NHK大河ドラマなどはいつになっても、戦国武将たちを描いた物語が延々と続いており、いかに日本人が戦国時代に大きなロマンを感じているのかがわかるような気がする。個人的には、刀を使った人殺しシーンの連続は、昨今の凶悪犯罪の続発を助長さえしているような感じがして、あまり好まないのだが、いつまでも、いつまでもお茶の間に人殺しシーンは送信され続けている。
いわゆる戦争犯罪と宗教の関係は、洋の東西を問わず、あるいは年代の新旧を問わず、連綿として続いてきているようだ。なんで人類はこんなに戦争がすきなのかな。戦争のために宗教が活用され、宗教が生き延びるために戦争が必要とされるようにさえ見えてくる。古代時代の争いから、いまだにつづく中東戦争まで、常にその戦いの影に、いわゆる宗教が暗躍する。
以前、当ブログでも「禅と戦争」という本を読んだ。これは、歴史的にはごく最近の第二次世界大戦における宗教者たちの戦争責任を問うた本だが、こと戦争責任を禅僧たちだけに問うことはできないだろう。しかし、また禅に対する期待や呼び声が高まれば高まるほど、こまかな検証作業が各方面から開始されることは止むを得ないこととしなければならないのであろう。
戦国時代におけるサムライたちの思想的背景の片棒を担いだ人物達、とくに禅僧たちに着目した小和田の本は、その人間的営みとしての戦争の意味を問うことではなく、歴史的事実としての「戦国時代」をそのまま認めつつ、その歴史を推し進めた力となった禅僧たちの実際の活動を拾い出している。なにも禅僧ひとりがサムライたちに影響をあたえたわけではないが、たしかに戦国武将たちは、密教や念仏宗を差し置いて、禅に頼った形跡は否めない。
禅と聞けば、すぐに思い浮かぶのは坐禅である。
戦国武将たちも、禅寺を訪れ、坐禅を行って悟りを開こうとしていたのかもしれない。(中略)
では、戦国武将たちは、禅に何を求めていたのだろうか。
いくつかの目的があったと思われるが、一つは、禅僧との問答によって、精神を鍛える、もっといえば、精神的「徳」を涵養することだったのではないかと私は考えている。p11
よく「茶禅一味」といういい方をする。
茶の心と禅の心は同じであるという意味である。周知のように、戦国武将は茶の湯にのめりこんでいたし、茶の湯には禅僧も深くかかわっていたので、その関係を少しさぐっておきたい。p33
「張りつめた弦は切れやすい」などというが、それは弓だけではなく、人間にもあてはまる。戦国という、殺るか殺られるかといった合戦が毎日のようにくりかえされている時代、武士たちは常に緊張状態に置かれていた。(中略)
常に死と隣りあわせだった当時の武士たちの死生観がうかがい知れるが、そうした緊張状態をときほぐすものとして茶の湯が位置づけられていた点は注目しておかなくてはならないであろう。p37
戦国武将たちが茶の湯をたしなむようになればなるほど、禅に一歩近づいていくことにもなったわけである。p38
寺にはもう一つ別な側面、アジール、つまり、逃避所とか避難所としての意味合いもあった、(後略)p53
師弟の教育機関としての禅宗寺院を調べてみると、江戸時代に流行し、さらには近代の学校教育の原点ともなった寺子屋教育のはしりが戦国期の禅寺にみられる(後略)p68
武田信玄の師・岐秀元伯、上杉謙信の師・天室光育など、あるいは徳川家康の師・太原崇孚や、伊達政宗の師・虎哉宗乙についての記述があり興味深い。とくに正宗における虎哉禅師の存在などについてはよく描かれるところだ。茶の湯と禅とサムライたちの関係もよく語られるところではあるが、その時代時代の背景なしには、簡単に語ることはできない。
歴史の史実的整合性にそれほどの関心ももてない当ブログとしては、ひとりひとりの歴史上の人物達をおいかけることにそれほど大きな意義をもたないが、禅の呼び声が高まれば高まるほど、その禅という世界の中で行われてきた人間的営みを裏表も含めて原寸大で、視野にいれておきたいとは思う。