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テーマ:人間とは何か(26)
カテゴリ:スピノザ
「西田幾多郎ー歴史の論理学」 再発見日本の哲学 荒谷大輔 2008/1 講談社 全集・双書 227p No.1019★★☆☆☆ 「再発見 日本の哲学」シリーズは、廣松渉についで二冊目。かの書で「巻頭の廣松と西田幾太郎の出自の比較と類似性の指摘」されていたので、こちらも見てみることに。京都学派の雄であった西田と廣松には、どのような確執があったのか、今のところは、よくわかっていない。しかし、とみに西田幾多郎の名声は高く、中沢新一なども「フィロソフィア・ヤポニカ 」で、西田哲学について述べている。 日本哲学、なんてものがあるのだろうか。「<反>哲学教科書」のミシェル・オンフレイなども、盛んに日本哲学の存在を意識し、挑発する。しかし、どこかでコンセプト・エラーだ。なにかが違う。 この本、シリーズものとは言え、ごくごく最新の本である。こちらの理解力のなさを棚にあげて、ひとこと言わせてもられば、まったく面白くない。こんな本(失礼、ごめんなさい)を今、最新で発刊することの、どこに意味があるのだろうか、なんて、ひとりごちてしまう。 時には参禅に明け暮れ、生涯の親友に鈴木貞太郎(大拙)をもっていた西田幾多郎。どことなく、西洋哲学と、東洋哲学のハイブリットを期待するのだが、この本をちょっぴりかじったくらいでは、そのベールははがれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.02.25 19:43:54
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