
<初読>よりつづく
「狂人ノート」
Osho マ・アナンド・ナルタン訳 和尚エンタープライズジャパン 1991/5
「ゴールデン・チャイルドフッド」を読んだ時に、歯科椅子シリーズは、第四作まであったことを知って、え?と思っていた。しかし、よく読んでみれば、実は、第一作と第二作を合わせて「狂人ノート」になっていたのだ、ということを再認識した。つまり、第一・二作「狂人ノート」→第三作「私が愛した本」→第四作「ゴールデン・チャイルドフッド」と3冊来て、この時のプネ1は終了するのだった。ここから「無期限」のサイレンスへとOshoは入っていったのだ。
ということで、割合、シンプルに読めるこの本を、あらためて再読。
わたしは、わたしの愛している人々のために家をつくりたい。
わたしは、歴史に、夢みたのにその夢を実現することはできなかったとは言わせたくない。p9
この本は、プネ1で語られたはずだ。1981年前半。オレゴンはまだ見えていなかった。もし、この「家」がオレゴン州におけるコミューンづくりを指しているとすれば、早漏ぎみの歴史家達は「実現」できなかった、と言うかもしれない。しかし、その後、そのOshoの「夢」は確実に受け継がれている、と見る向きのほうがはるかに多い。
チベットは、世界中で宗教にもっとも近づいた唯一の国だ。
チベットが今、コミュニストの手の内にあるのは、なんと不運な、この上もなく不運なことだ。
彼らはチベットを破壊している。p140
Oshoのチベットに対する想いは、ただごとではない。多くの講話が残されている。それに比するように、コミュニスト嫌いは徹底しているようにも見える。
わたしはまた、ミハイル・ナイミの「ミルダットの書」を思い出した。この本はまったく信じられないような本だ。
わたしは、一人の人間だけは、ミハイル・ナイミにだけは嫉妬を覚える。
ふつうの意味合いでの嫉妬ではない。
ふつうの意味合いでの嫉妬は、わたしには感じられないからだ。
彼がすでにこれを書いたという意味で、私は嫉妬する。
さもなければ、わたしが書く。p160
いつものOsho節とは言うものの、彼がここまで言っていたとは、あらためて気がついた。この「ミルダットの書」という本、持ってはいるものの、積読本になっていた。近日中に読んでみよう。
わたしの後には、どんなイデオロギーも可能性はいっさいない。
わたしとともに、古きは終わり、新しきもの、新しい人間が始まる。
イデオロギーも宗教もなく、生きるための哲学も概念もない人間、
ただ生きる喜びと祝祭がある人間だ。p164
ここまで喝破されてしまえば、新しいコミュニズムの模索であるマルチチュードも、バチカンが気にするニューエイジもいらない。日本哲学も、反哲学も不要だ。オールリセットだ。統合=インテグラルなどまどろっこしいだけじゃ。となってしまうが、まぁ、そこはそこ、弟子は弟子として、旅のあちこちで、物見遊山したくなるのは、世の常、ということか。う~~ん、あとは生きる喜びと祝祭、ですかぁ。
この数ヶ月というもの、わたしは本を一冊も読んでいない。
美しいものはすでに理解されているという簡単な理由から、
わたしは本を読むことをやめた。
今や、読書は無意味になった。p182
一日20冊の本を読み、合計で10万冊までは数えたというOsho。この時の心境はこのようなものだったのである。
ここに古い話がある。有名な禅の話「十牛図」だ。
これは十枚の図を伴った絵話で、それぞれの図が人の進化の位相を示している。
元は九枚の図だけで成り立っていたが、わたしのような狂人が十枚目をつけ足した。p202
十番目では、牛飼いは市場にいる。
ただいるだけでなく、酒の瓶をかかえている。p204
わたしは、十番目の図を人間そのものに加えたい。
何かの物語ではなく、一連の絵図にではなく。p207
九番目の図は、ただ空っぽの庭だ。
それが、あらゆる宗教の究極であってきた。
クリシュナムルティでさえ九番目の図に属する。p230
それから脱け出るのは、存在のなかの最後の事柄だ。
そして、それが十番目の図になる。
人が無からでてくるとき、普通なるものの世界にもどってくるとき、
それはまったく素晴らしい。
普通はもはや普通ではなく、
現世的なものが神聖になる。p231
十番目に入ることによって、わたしは知るに値することはすべてを知った。p242
十番目のなかにあって、初めて人は超える。そして、
十番目は、おまえたちのなかで、この音なき音を響かせる・・・・
オーム マニ パドメ フム p243
Oshoの言葉は本来、このような形で抜書きされるものではなく、全文まるまんま読まれることが必要だ。歯科椅子シリーズは、プライベートな空間で語らえたものだから、講話テープのようなものは入手できないかもしれない。でも、この本は、もっと簡単に入手できたらいいのに、と思う。
この本、気がつけば、ナルタンが翻訳していた。
<3>につづく
オーム マニ パドメ フム