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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2008.03.15
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カテゴリ:アンソロポロジー

 

 

 

「20世紀の神秘思想家たち」アイデンティティの探求
アン・バンクロフト /吉福伸逸 1984/09 平河出版社 単行本 405p
Vol.2 No.0017★★★★☆  

 友人の車のアラームが鳴った。ピピピ・・・・・と、かなりの音量だ。見渡してみたが友人はいない。ちょっとうるさいので、車に乗り込んで、アラームのストップ・スイッチを押した。でも騒音は鳴り止まない。しかたがないので、アラームを取り外してみたが、それでも音は鳴り止まない。ああ、これか。いつも友人が「困った、困った」と言っていた。このアラームを止めることができたら、きっと彼の私を見る目も変わるだろう。信頼感も高まるかもしれない。

 よし、ここはひとつ腕の見せ所。裏を見ると電池ボックスがあったので、電池を取り外してみたのだが、それでも音は鳴り止まない。そんなことはないだろう。おかしい。路上に放り投げてみた。それでも変わらない。おかしい。踏んづけてみた。それでも音は止まらない。バラバラして、こなごなにしてもアラームは依然として鳴り続けている。やれることはやりつくした。お手上げだ。

 ・・・・・ってところで目が覚めた。鳴っていたのは私の枕もとの目覚まし時計だった。問題は、そこに「いない」友人が困っていたアラームではなかった。自分自身が目を覚まし、私自身の目覚まし時計を止めるところにあった。

ーーーーーーーーーー

 アラン・ワッツ、と聞いて、どこかに関連の本があったはずだなぁ、と貧しいわが書庫を探してみたが、引越し以来、整理していないので、まずは探せたのが、この本。グルジェフ、クリシュナムルティ、トゥルンパ、シュタイナー、カスタネダなど15人ほどの「神秘家」リストにアラン・ワッツの名前が、二番目にリストアップされている。序文などは、まずは最初からその名前が見える。

 「自分が知っていることに気づいている人は驚嘆しているにちがいない」とアラン・ワッツは語る。本書の背景をなしているのは、まさにこういった実存的驚嘆である。私がいるという自覚からは「私は誰か?」そして「私がいるこの世界は何か?」という疑問が生まれてくる。その答えを見出すには、言葉を超えて自分たち自身に関する事実を体験する必要があると、われわれは感じる。数多くの人が高名な神秘主義や賢者に指導を仰ぐのは、この真の意義に対する渇望のためである。p1

 日本語訳のこの本がでたのは1984年である。まだ日本の「精神世界の本」もあまり成熟していなかった。出版社もすくなく、翻訳者たちも限定されていた。どこかに的を絞るというより、網羅的なガイド・ブック的書物が好まれていたようだ。その中でも、ラマナ・マハリシの「私は誰か?」の「公案」も、まだ新鮮な響きが初々しい。

 ワッツは少年のころ、キング・スクールに在学中、ヒンドゥー教と仏教経典を読みはじめた。彼の精力的な哲学・精神的生活の発端はそこにあった。すでに17歳のころ、禅に関する小冊子を発表している。彼はケンブリッジ大学の奨学金が受けられずに、17歳で学校をやめて、社会にでた。p36

 Oshoのアラン・ワッツとは、かなりイメージが違う。 「彼は一度、キリスト教の牧師に任命された。」、 「アラン・ワッツは、キリスト教の宣教師としての訓練を受けた人だ。」
とOshoは言うのだが・・。

 ワッツは型にはまった職業を断固として拒否し、仕事上の役割に自分を合わせるといった考え方を毛嫌いした。自活するために仕事につきはしたが、自己流の激しい生き方にいかなる干渉も許さない。生まれながらの異端者(ドロップ・アウト)であった。しかし、ルース・フラーの娘で、禅の老師佐々木慶庵の義理の娘にあたるエレナ・フラーと結婚しアメリカへ渡ってからは、家族を養う手段を見つけなければならなかった。彼には監督教会(エピスコーバル・チャーチ)の聖職者が最も理想的に思えた。それに変に生真面目にやらなくても、誠実かつ自然にふるまえそうなので牧師になることに決めた。p37

 1978年に58歳で亡くなったアラン・ワッツのことだから、1950年前後のことか。

 数年間ノースウェスト大学で礼拝堂付き牧師を勤めたのち、ワッツはその地位および聖職から正式に退いた。ヴェーダーンタ哲学、仏教、道教への昔ながらの愛着は、生涯を通じて変わることがなかった。禅経典の偉大な翻訳家、鈴木大拙との何度かの出会いから、ワッツは禅を深く理解するようになる。そして『禅の道』、『禅の精神』などの著作で、アメリカ最初の禅の普及者のひとりとなる。p40

 「アメリカ最初の禅の普及者のひとりとなる」とは、なんとも名誉な賛辞だ。

 実践的な試みとして、彼は読書を提案する。本を読みながら、読書をしている自分を考えてみる。そうすると、「私は読書をしている」という思考が実際の読書にとってかわり、現在の体験になってしまうと彼は語る。p42

 いつの間にか、読書ノートと化している当ブログにとっては、ありがたい救いの言葉であるが、「行住坐臥」すべてが禅なのであり、、別に読書だけが、特別の「体験」であるはずがない。



 

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Last updated  2008.05.30 23:33:52
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