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テーマ:一冊仕掛人(459)
「坐禅和讃」 Osho 白隠禅師を語る <1> Pune1においては、禅の伝統を借りながら、さかんに禅にラブコールをしている風にさえ感じられる。ところが、Pune2においては、禅というより、Zenといったほうがいいくらい、日本や中国における伝統は伝統として、そこからはもうすでに遠く立ち去ったかに感じられるOshoがいるように感じる。Oshoは和尚ではなく、彼が語るZenは禅ではない。そんな感じさえする。 この「坐禅和讃」は、よく調べてみる気もないので、不明だが、Pune2のZenシリーズの一冊ではないのではないだろうか。セツの「シーポヨのしわざ」によれば、この本の原書「THIS VERY BODHI THE BUDDHA」は77/12/11に講話が始まっていることになっている。まさに私がPuneでテイクサニヤスした2日後に始まっていることになっている。 THIS VERY BODY THE BUDDHA <2>につづくお気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.08.06 16:23:24
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