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テーマ:一冊仕掛人(459)
<7>よりつづく そういえば、この「禅宣言」の出版に大きな力を示し、まえがきを書いている喜納昌吉は、今、チベットについてどういうことを考えているのだろう、という話題がでた。現在の彼はいまや参議院議員ではあるが、彼ひとりに何かを期待することは、公平な視点ではない。しかし、若い時分からの彼の考え方や行動をみていると、この際、なにかを考えているのではないか、と期待してしまうことは、ごく当たり前な周囲の反応だと思う。 まえがき 人類は、わずかの時間であらゆる地球上の富を独占し、望みを叶えたような感じがする。しかし、内なる世界は、砂漠の世界となりつつある。我々の太古の魂の世界には、いきいきとした緑の森があり、いきいきとした生命たちが謳歌していた。しかし今日、地球上のすべての生命は疲れ、傷ついている。幸福を謳歌するために編み出された科学や物質文明は、期待とはうらはらに逆流しているような気がする。 私たちはもう一度思いとどまり、いま「禅宣言(マニフェスト)」の視点から、世界を見渡さなければならない。真理も悟りも神も、進化するものだと。永遠に変わらぬものとは、永遠に変わり続けるものであり、そしてそれは、永遠に宇宙でダンスをしながら、歌いながら、創造のメッセージを送り続けていることを・・・・。 私にとって和尚との思い出は、不思議なことに過去ではなく未来に輝く。その本来でさえ、単なる時間の皮にしかすぎない。生命にあふれた思い出というものは、過去も未来もすべて焼き尽くしてしまうものである。 懐かしい牛やセミや鳥の声、風や木々の声、そして子どもたちの声。あらゆる生命の営みの声。そこでは都会で分断されてしまった生命のセレブレーションが蘇っていた。私の疲れ切った身体の全細胞が反応するように、この喜びを受け入れていた。まさに、和尚の私に対する最初の講話は、牛の声であり、鳥の声、風や木々の声であった。 そして和尚は相も変わらず、鳥や花や波や風、雲や星々を通じて、禅マニュフェストの講話をしてくる。 全細胞をつき動かし、あらゆる存在と手をつなぎ、全宇宙に花開くように、 喜納昌吉 <9>につづく
Last updated
2010.02.27 22:01:13
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