<1>よりつづく
「ノーマインド 永遠の花々」 <2>
Osho
アンベドカル博士の大きな貢献のひとつにこんな発見がある-----チャマールつまり靴職人階級はもともと仏教徒だったが、ヒンドゥー教僧侶階級によって靴職人におとしめられた。生命をおびやかされ、このあわれな人々は屈辱と侮蔑にまみれた生を選んだ。こうして仏教はその母国から消え去った。p30
マハーラシュトラ州には少数の仏教徒がいる。ババサヘブ・アンベドカル博士によって最近改宗した人々だ。彼らは不可触民(アンタッチャブル)だ。ヒンドゥー教徒によってずっと昔から搾取され、非人間的な屈辱を受けてきた人々だ。この地上で最も抑圧され、搾取され、おとしめられてきた人々だ。
不可触民はヒンドゥー教徒全体の四分の一を占めているが、ババサヘブ・アンベドカルはそのすべてを改宗できたわけではなかった。彼自身、瞑想者ではなかった。不可触民を仏教化しようとしたその努力は、彼らをヒンドゥー教の枠外に出すことによって人間としての尊厳を与えようとするものだった。それは政治的な試みであり、一個の社会革命だった。だが何ら精神性にかかわるものではなかった。
アンベドカル博士によって改宗したこの仏教徒のグループが、私に連絡をよこした。私に教団を組織してくれという。だが彼らには申しわけないが、「組織」という言葉自体が非宗教的だ。
私は宗教を教えない。私の教えるのは宗教性だ。それはひとつの「質」だ。どこかの教会員になることではない。その「質」によって、自己の存在は変容し、自己の潜在性は開花する。
こういった仏教徒たちは闇の中に取り残され、様々な困難に直面している。もし彼らが仏教徒にではなくブッダになるつもりなら、私はいつでも手助けをしよう。だが、それ以下のことについては私の関知するところではない。私が望んでいるのは、大勢のブッダが自由に大空を飛びまわる世界だ。p61
アンベードカルの「ブッダとそのダンマ 」や「アンベードカルの生涯」は名著だ。当ブログの推薦図書であり、また、ブッダの2500年サイクルを確認するには、なくてはならないランドマークだ。しかし・・・・、Oshoにかかれば、ものごとの本質は、よりもっと明確になる。重要なポイントは、仏教徒になるのではなく、ブッダになることなのだ。
このポイントは、表現の違いはあれ、チベット仏教やダライ・ラマに対するOshoの姿勢と、同じ方向を向いている。
<3>につづく